はじめに
古道 #中高野街道 和泉と河内の国境に鎮座する #塞の神社(#道祖神 #さいのかみのやしろ)#宝神神社 とも 東に進むと #住吉大社 北に進むと #四天王寺 #おかめとひょっとこ
目次
本文
御祭神:八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)、来名戸神(くなどのかみ)*1
御由緒の張り紙より)この神様は他界より侵入して災厄をもたらす悪魔等を防ぎ止め、追い返すことをつかさどっています。呼び名を『さいの神』と申し上げることから『幸神』『妻神』として幸福をもたらす神様です。トンド焼き、道祖神、左義長もこの神様の御神徳をいただくお祭りです
お社の中に鼻高のサルタヒコ像が置いてありました(撮影せず)
道祖神(サイノカミ)について(境内張り紙)
文字起こし、途中まで)集落のはずれや、街道に祀られる代表的な民間信仰における神。「道祖神」「道禄神」とも。その形象はさまざまで、たとえば山梨県のごく一部の地域にあるような丸石形(一説には山籠が祀った鉱物を擦る道具だったともいわれる)のものや石に直接祠や天狗*2を刻んだものなどがあるが、もっとも多い形は男女の神が一対となって身体を寄せ合うものだろう。これは性神的、田の神的な豊穣神、夫婦和合の神としての一形態であると考えられる。いずれにしても道祖神が石神として祀られることは共通している。その根源にもいろいろな説があるが、「古事記」における黄泉国と現世との境を護るとされる。「道返しの神*3、賽坐黄泉戸大神(さいにいますよみどのおおかみ)」がそのはじめとされる。このため道祖神を「さえのかみ」と読み、防災守護の「賽の神」と同神とする説*4や、天孫を導いた猿田彦大神と天鈿女命との夫婦神*5とするもの、旅神である「手向(たむけ)の神」とするものなど多くの説がある。が、実際にはこれらの神が複合的に習合していったものと考えられる(以下割愛)
境内いろいろ、面白きもの
境内の東、日の出の方にお不動さん。『大日如来不動明王』と説明が書いてあります。
よく見ると、お不動さんは片目を薄く開く感じ。もう片方の目で睨みを利かせているという表現なんでしょうか。
境内の地蔵堂の中に、おかめとひょっとこ、ですか。なるほど!勉強になります。(この場合、男女どちらでもよく、一対であることが重要なんですね。)
境内の丸石。こういうものは道祖神・サイノカミを祀るお社でよく見られます。
お地蔵さんも石神さんのひとつ、つまり道祖神的なもので、仏教の影響で仏様になりました。
境内から南に数百メートルの新大和川。実は江戸期に築堤された運河です。ここが和泉と河内の国境(くにざかい)だったんでしょうね。自分がいるところが中高野街道です。鉄橋を近鉄電車(南大阪線)が通過します。
古墳時代に興隆した河内の物部氏。その理由と目的を考察。#海退と弥生時代 #豊葦原瑞穂国 #古墳時代中期 #倭の五王の時代