ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【四天王寺から御勝山古墳の謎を追って】仁徳天皇 茨田堤の業績に繋がるこん跡【いばらの社】

はじめに

おそらく #御勝山古墳 の遥拝所であったと推理される『いばらの神』。古くは #仁徳天皇 の『的殿、まとどの』という名の宮(御館)があったと伝えられます #日本古代の土木工事 #茨田堤 #古代河内湖

目次

本文

御勝山古墳(被葬者不明、古墳時代中期)前回

四天王寺伽藍中心の #転法輪石 春分秋分に日の出・日の入の方位を指します。東の日の出ライン上に #物部守屋祠。さらに1.8キロ先に #御勝山古墳(後円部の墓域中心)

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四天王寺 転法輪石 春分秋分の日の出の方位に御勝山古墳

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文字起こし)大阪府史跡)上町台地の東縁部の河内平野を望む低い丘陵上に立地する御勝山古墳は古墳時代中期の5世紀前半(AD400年代前半)に造られた。慶長19~20年(1614~1615年)の大坂夏の陣で徳川方の本陣が築かれたため、著しく墳形が破壊され、いまは後円部が残っているだけである。昭和48年(1973年)の発掘調査で埴輪や葺石が発見された。そして全長120m、濠を含めると約150mの中規模の前方後円墳であると推定されるに至った。

出土した遺物は、一部生野区役所で常設展示されています(まだ見学できていませんが、あらためてレポートします)

鰭(ひれ)付円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪 などが出土したとのこと。

御勝山古墳付近。茨神社通りと御館神社旧跡(いばらの神)

古墳時代中期とは、百舌鳥・古市古墳群などの巨大前方後円墳の時代。また、河内期・物部氏が興隆した時期に先駆ける古墳と言えるかも知れません。

夏の陣で荒廃したこともあり被葬者不詳ですが、たいへん興味深いところです。

前方後円墳の被葬者を推定するのに、素人の私でもこん跡を探せることがあります。

古墳(墓域のある後円部)を遥拝する社が、近くや墳丘上にあることがあるのです。

幸いにも御勝山古墳にはありました。

「いばらの神」からの茨神社通りでしょう。古い元々の地形を反映する現在の道路地形から「いばらの神」が御勝山古墳の遥拝所であったことが推理できます。

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御勝山古墳(後円部)付近。茨神社通りと御館神社旧跡(いばらの神)

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御館神社旧跡(いばらの神=弥栄神社・岡御旅所)

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御館神社旧跡(いばらの神=弥栄神社・岡御旅所)

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いばらの神伝承碑(仁徳天皇の御館、的殿)

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いばらの社境内の伝承碑

境内に伝承碑。ところどころ薄くなって読みにくいですが、おおむね次の通りのことが書かれています(生野区役所・生野区内の神社・寺)

明治43年(1910)、氏子協議のうえ大字岡村(現勝山北4丁目)の御館神社を合祀。御館神社は、旧岡村の生土神(うぶすなのかみ)で「いばらの神」と呼ばれ、仁徳天皇の的殿(まとどの)の旧跡で、現在は彌栄神社の御旅所となっています」

御館神社は「おやかたじんじゃ」でしょうか。仁徳天皇の的殿 の旧跡だったそうです。

的殿は仁徳天皇の宮殿で「的」はおそらく「まと」と読んだのでしょう。

「いばら」は「茨」とかきますが、仁徳天皇は在位中の河内国茨田堤 を築造し、堆積で土地が生まれつつあったがゆえに、雨のたびに氾濫する古代河内湖沿岸に水路を造り、現在の大阪平野・・・広大な稲作地帯を開発したとされています。

茨田堤は まんだのつつみ と読み、現在でも大阪市鶴見区には 茨田(まった)大宮という地名が残っています。

地図の茨神社通りを、北に10分少し歩いてゆくと、御館神社が合祀された弥栄神社(先日紹介、大阪市生野区)が鎮座しています。

弥栄神社から、鶴見区の茨田大宮までは、かなり距離がありますが、現在でも残る水路(平野川-寝屋川-古川)をたどってゆくと、繋がっています。

(次回に続きます)

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