ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

新説・四天王寺

日出づる、飛び立つ鳥の高揚感。神鳥が相次いで生まれた飛鳥という新時代

はじめに 遣隋使 #小野妹子 に #聖徳太子 が託した #隋の煬帝 への親書『#日出る処の天子。書を日没する処の天子に致す。恙なきや』…にじみ出る #飛鳥時代 を迎えた高揚感。神の鳥が次々と羽ばたきました #白鳳 #斑鳩 #白雉 #朱鳥 目次 大阪四天王寺。飛鳥と…

【日出処の国】外国使節団は難波津から【生駒の大鳥】を見る

はじめに 古墳時代中期以降、西の難波津に面した上町半島(現在の上町台地)は、外交使節団を迎え入れる国際港湾都市でした。この地に都、大寺、城を築いた人たちは、共通して生駒(大鳥)の景観を重視しました 目次 外国使節団受け入れる国際港湾都市【難波…

【山越来迎図の秘密】摂津・河内平野 二本の【太陽の道】が指すところ③

はじめに 春分秋分の夕刻、西の #石鳥居 の真ん中に没する夕陽を観て #西方極楽浄土 を想う #四天王寺 #日想観法要。その起源は創建時から重視された #太陽の道。#阿弥陀如来 #山越来迎図 目次 四天王寺ラインが明石海峡を指す理由・考 四天王寺から見て阿弥…

【住吉大社と四天王寺】摂津・河内平野・二本の【太陽の道】が指すところ①

はじめに ここ最近、摂津・河内平野を東西に通る #住吉大社ライン #四天王寺ライン 二本の #太陽の道 を紹介しました。歴史的には #住吉大社 が古墳時代中期、#四天王寺 が飛鳥時代初頭の創建(建立)二本のラインを辿ってゆくと #明石海峡 目次 摂津・河内…

【四天王寺・亀の池】季節を観る 古代の水鏡のカレンダー【藤原京・醍醐池】

はじめに 先日は #夏至。一年で一番日が長く高い日でした。私たちのご祖先様は太陽の動きで季節を計るために #水鏡のカレンダー を利用したようです #四天王寺亀の池 #藤原京醍醐池 #二十四節気 #春分 #秋分 #冬至 目次 藤原京・醍醐池 四天王寺・亀の池 本…

【天照山】生駒の大鳥。太陽のただ射す所の蔭【暗峠】

はじめに ネット時代はありがたく前回記事を読んだTamaoさんより #生駒の大鳥 の頭の山が #天照山 という名であることを教えていただきました。#暗峠 との位置関係も正確にわかり古代妄想がいろいろと繋がりました #影向(ようごう) 目次 天照山(生駒の大…

【摂津河内の太陽の道①】日出づる処の生駒の大鳥、日没する処の石鳥居

はじめに 私の古代妄想の原点 #四天王寺。#聖徳太子(推古天皇) はなぜここに #和 のシンボル #日出づる国 の玄関口の大寺を建立したのでしょうか。あらためて整理 #生駒の大鳥 目次 生駒の大鳥(開物命名) 四天王寺・日想観法要と伽藍の秘密 四天王寺と生…

【石清水八幡宮(8)】古神道で最重視された太陽が霊水と交わる方位【四天王寺】

はじめに 日本の古神道は #稲作弥生時代 が起源でしょうか。#弁天信仰 の由緒を伝える #京舞 #竹生島 は #水と太陽の祭祀 の聖地の「古くて忘れられた繋がり」を暗示しています #石清水八幡宮 #四天王寺 目次 幽玄の世界 京舞・竹生島(ちくぶじま) 四天王…

【京舞・竹生島】大坂~淀川~琵琶湖 ライン上に並ぶ参詣地の謎

はじめに 京都祇園 春の風物詩 #都をどり。鮮やかで艶やかな #京舞 の世界。#井上流家元 が舞う #竹生島 は #弁財天 の由緒を訪ねて難波 #四天王寺 から #石清水八幡宮 #志賀の寺 #琵琶湖 をめぐるお話 #京舞 目次 京舞と都をどり 竹生島(ちくぶじま) 琵琶…

【四天王寺 石神堂牛王尊】菅原道真公とご眷属の牛の話(後半)【道明寺天満宮】

はじめに 菅公のご眷属が牛、それも #臥牛 である理由2回目。少し京都・北野天満宮から離れて、大阪の #道明寺天満宮 #道明寺(土師寺) 四天王寺 #石神堂牛王尊 で考えました。 #菅原道真公 の祖先 #土師氏 は古代の建築土木の総合請負業であることからの…

【藤原京】ヤタガラスとは何だろう?(その①)【生駒山】

はじめに 京都 #下鴨神社 の案内札に『 #ヤタガラスは太陽、ナワテはヤタガラスの神様への参道』と書かれています。長い間謎と考えてきましたが #生駒山 と #藤原京 に共通するこん跡が謎解きのカギになるかも知れません #八咫烏 #神話の生まれ方 目次 葛城…

【纏向遺跡(弥生時代)】古代太陽祭祀『太陽の道』共通するこん跡【四天王寺(飛鳥時代)】

はじめに 先日紹介した #纏向遺跡居館跡 は正式には(考古学では)#辻地区の建物群 と言うそう。三棟の建物跡の中心線は西に約5度傾いています。四天王寺の中心伽藍は西に約3度傾いており地図で比べてみました。#春分と秋分 #太陽の道 目次 纏向遺跡居館跡…

【星田妙見宮(小松神社)(4)】妙見信仰と北斗七星剣の伝来【二人の太子の出会い】

はじめに 大阪府交野市 #星田妙見宮 が伝える #妙見信仰 の伝来。#聖徳太子 と百済の王子 #琳聖太子 の交流と、#四天王寺 #北斗七星剣 の由来譚でもあります。社務所で頒布いただいた資料も参考にまとめ 目次 妙見信仰の伝来(星田妙見宮) 四天王寺・七星剣…

【転法輪の話(3)】八角墳 飛びたつ鳥 新しいクニづくりのコンセプト【日出る処の天子】

はじめに 昨年冬。#中尾山古墳(明日香) の現地説明会に参加。専門家の間では #八角墳 は飛鳥時代の大王の墳墓様式との認識が定着しつつあるようです #転法輪 #八街 #飛鳥時代 #日出る処の天子 #四天王寺 目次 八角墳について 飛鳥時代 大王の墳墓様式か? …

【転法輪の話(2)】太陽祭祀 アマテラスに奉祀する姫巫女の伝統【豊御食炊屋姫/推古天皇】★

はじめに 転法輪の歴史を書き始めると長くなるので何回かのシリーズで。法輪の図に込められた意味と日本の歴史における変遷。#日祀部 #推古天皇 #豊御食炊屋姫 #トヨ #厩戸皇子 #五条宮 #四天王寺 目次 釈迦の教え 初転法輪 日本仏法最初の転法輪 日祀部(ひ…

【仁徳天皇の治水】茨田堤 難波の堀江【秦氏・考】

はじめに 古墳時代中期の #仁徳天皇期。淀川と大和川から流れ込む大量の水を制御するため全長20キロに及ぶ #茨田堤 の水路を造り #難波の堀江 を開削し広大な大阪平野(河内国)を創出しました。謎の #秦氏の姿も見え隠れします 目次 茨田堤(まんだのつつみ…

【四天王寺から御勝山古墳の謎を追って】仁徳天皇 茨田堤の業績に繋がるこん跡【いばらの社】

はじめに おそらく #御勝山古墳 の遥拝所であったと推理される『いばらの神』。古くは #仁徳天皇 の『的殿、まとどの』という名の宮(御館)があったと伝えられます #日本古代の土木工事 #茨田堤 #古代河内湖 目次 御勝山古墳(被葬者不明、古墳時代中期)前…

【荒陵 アラハカ】四天王寺の東かも知れない。前方後円墳のことかも知れない

はじめに 四天王寺 の山号は #荒陵山 #アラハカ。よく #アラハバキ信仰 との関係が推理されます。春分・秋分の日の出ラインに #御勝山古墳。山号の由来は東で、古墳時代を象徴する #前方後円墳 のことを #荒陵 と称していたのかも知れません 目次 四天王寺 …

【四天王寺】春分・秋分 転法輪石が指す日の出の方向に【御勝山古墳】

はじめに 四天王寺伽藍中心の #転法輪石 春分・秋分に日の出・日の入の方位を指します。東の日の出ライン上に #物部守屋祠。さらに1.8キロ先に #御勝山古墳(後円部の墓域中心)さてこれは偶然でしょうか 目次 四天王寺境内・転法輪石の東に守屋祠 守屋祠…

【四天王寺七宮の一社 久保神社】もうひとつの願成就宮 熊野大神の三柱 大岩小岩大明神

はじめに あらためて四天王寺の東の神社史跡を巡り始め。#四天王寺七宮 の一社 #久保神社。建立に際して守護神として創建。一帯が川底の窪地であったことからの名と伝承。謎がさらに深まる増えるお社 #もうひとつの願成就宮 #熊野大神の三柱 #大岩小岩大明神…

【四天王寺 守屋祠】毎月22日 太子御命日にお詣り 新たな謎【願成就の宮】

はじめに 毎月22日、太子の月命日 #四天王寺 聖霊院(太子殿) が開放されます。境域に #守屋祠 とも云われる #願成就の宮。#物部守屋 御霊のほか #弓削小連 #中臣勝海連 を祀ります。#太子と馬像 #熊野権現 #布袋 目次 毎月22日太子の御命日に開放される聖…

【新説・四天王寺】石神堂 御神体の正体【牛王尊】

はじめに 四天王寺、亀井堂の前の #石神堂 #牛王尊。お堂内には大小の臥牛像。大正期の境内図には #石神神社 と。その位置、横長形、大きさから、かつての御神体は境内にあった古墳時代の #長持型石棺蓋 で間違いなし 目次 四天王寺 牛王尊 石神堂 『大阪四…

【新説・四天王寺】古い時代、熊野神社があったこん跡【堀越神社の案内板と浮橋】

はじめに かつて #四天王寺 石鳥居の付近に #熊野神社 があったことは近くの #堀越神社 説明板に書かれています。実際にどのあたりに鎮座していたのか。転法輪石から西の延長線上に #西大門 その前に神社様式の #浮橋 目次 堀越神社 熊野第一王子の由緒 石鳥…

【新説・四天王寺】熊野のこん跡 『あしかき』三首の考察【道標神・クナト信仰】

はじめに 『難波津や ふるき昔の あしがきも まちかきものを 転法輪所』鎌倉時代、#四天王寺 #転法輪石 を詠んだ #慈円(愚管抄の著者、天台座主)の詩。#あしがき の解釈がたいへん難しい。#クナト信仰 #熊野詣 #道標の信仰 新カテゴリー #新説四天王寺 目…

【新説・四天王寺】八十国の百隈来にし大寺や 往きて戻れぬ事のあるかも【難波津と防人の詩】

はじめに 万葉集巻二十 兵部省役人だった歌人 #大伴家持 選 #防人の詩 約九十首が掲載。徴兵された東国の人々が #難波の海 を見つめ前線に向かう自身と家族の行く末を案じた心情を詠います。その中に #四天王寺 にあったと推定される社のヒントがあるかも知…

【新説・四天王寺】太陽祭祀のこん跡を探して 転法輪石の下にあるもの★★【御饌石と豊御食炊屋姫】

はじめに 四天王寺で #推古天皇(#豊御食炊屋姫)の #太陽祭祀 のこん跡は見つかるのか。現在の中心伽藍に #アマテラス を祀る社があったのでは?と考え始めると寺域の西端に #石鳥居 がある意味が見えてきます 目次 四天王寺伽藍の核心としての転法輪石 転…

【新説・四天王寺】むしろ日奉(日祀、ひまつり)のこん跡が無い不思議【夕陽丘・日想観・石鳥居】

はじめに 推古天皇が敏達天皇の皇后 #豊御食炊屋姫 の時に新設されたのが #日奉部(ひまつりべ)#四天王寺 は春分・秋分に日が沈む #石鳥居 の方向を基準に伽藍配置されたことを考えるとここで #太陽祭祀 が行われた可能性が高いですが。#折口信夫 #夕陽丘 #…

【推古天皇と聖徳太子】四天王寺伽藍に見える姫巫女の王の意向と太子の創意工夫【新説・四天王寺】

はじめに 講堂-金堂-五重塔-仁王門が南北に並ぶ #四天王寺伽藍。真北ではなく西に約3度傾いた配置から #推古天皇 #太陽信仰 を融合した #聖徳太子 #転法輪(が説くところの中道)の創意工夫が見えてきます 目次 四天王寺伽藍の秘密 推古女帝の古神道(太…

【四天王寺】青龍伝承 水は東に流れる【見えない川、地下水脈のヒミツ】

目次 上町半島の巨大地下水脈(南北) 四天王寺の地下水脈(東西)と龍穴 桜の季節の丸池と弁天池 中心伽藍の『龍の井戸』 要約 上町台地(古代上町半島)は北の #大阪城 を頭に、南の #住吉大社 まで下る巨大な地下水の流れ #龍の水脈 があるのですが #四天…

四天王寺の七ふしぎ(3)シン四天王寺の七不思議【どこ行った?巨大石棺のフタ】

最近は、地元の上町台地の歴史の記事が多くなりました。 緊急事態宣言で、地元回帰したのもありますが、 もともと当ブログを始めた約一年前を一巡目とすると、二巡目の古代妄想に入っているからです。 庶民的な近づきやすさとともに、四天王寺さんには多くの…