ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【転法輪の話(3)】八角墳 飛びたつ鳥 新しいクニづくりのコンセプト【日出る処の天子】

はじめに

昨年冬。#中尾山古墳(明日香) の現地説明会に参加。専門家の間では #八角墳 は飛鳥時代の大王の墳墓様式との認識が定着しつつあるようです #転法輪 #八街 #飛鳥時代 #日出る処の天子 #四天王寺

目次

本文

八角墳について

昨年の冬、八角墳が確認された中尾山古墳(火葬墓)の現地説明会に参加しました。

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現地で関西大学の先生にお聞きして、研究者の間では、八角墳は飛鳥時代の大王の墳墓様式 との認識が定着している印象を持ちました。

飛鳥時代 大王の墳墓様式か?

従って中尾山古墳が真の第42代文武天皇陵であるという見解で、その時の話をもとに作ってみました(舒明天皇文武天皇

記紀など史料に記載された墳墓名、宮内庁治定(じじょう)墓、研究者が真と考える墳墓を一覧にしました

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飛鳥時代後半の歴代天皇と墳墓(八角墳)

確かに、宮内庁治定墳のうち、研究者が真と考える二古墳(皇極・斉明天皇の牽牛子塚古墳けんごしづか、文武天皇の中尾山古墳)に入れ替えてみると、

難波宮孝徳天皇の円墳、壬申の乱で敗れた悲劇の弘文天皇を除いて)飛鳥時代天皇墓は、八角墳ということになります。

なお、舒明天皇の墳墓(段ノ塚)は、方形壇の上に八角形の墳丘を乗せた形だそうで、宮内庁では上円下方墳としています。

八街(神道)と転法輪(仏法)の融合

見学当時、八角墳は古神道(サルタヒコと熊野、道の信仰)に基づいた・・・日本列島を縦横に繋ぐ 八街(やちまた)の道 をあらわし、クニの隅々まで統治する大王(天皇)のシンボルと考えていましたが、近ごろは、仏教哲学(初転法輪)も含む、神仏習合のシンボルでもあると考えるようになりました。

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飛鳥の大王の八角墳は、神仏習合の哲学に基づいて国土をあまねく統治するシンボル という意味かと。

つまり飛鳥時代に、東西南北、現代日本人の感覚に近い国土意識-蝦夷の地から隼人の地まで-が生まれたと考えることができます。

(海外からやってくる客人に見せても恥ずかしくない)四天王寺の創建を経て 飛びたつ鳥のように、新しいクニづくりの時代を迎える・・・

わき上がるような自信と高揚の時代観。

かの有名な 日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや。が、外交文書にしたためられた背景かも知れません。

(日出處天子致書日沒處天子無恙。遣隋使・小野妹子に託し、隋の煬帝に送った親書。607年。煬帝は自分と対等の「天子」という文言に激怒しました。)

転法輪石(四天王寺)からみれば、隋は『日の没する』西の方向。

日本では聖徳太子厩戸皇子)の観想イメージに始まり、転法輪と日輪(太陽)は、最初から結びついていたのでしょうね。

(続きます。)

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四天王寺 聖霊院奥殿(八角殿)日の出

前回記事。

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