はじめに
飛鳥時代、国土拡大の最前線だった蝦夷の地に #馬と鍛冶と養蚕 の福音(法輪)を届けた#厩戸皇子。仏法の教えとモノづくりによる聖徳太子の #クニづくり #馬頭観音
目次
本文
空を飛ぶ転法輪(平安時代)
平安時代、信貴山で修行した命蓮上人に関する説話を描いた三部作・信貴山縁起絵巻(国宝)。
『延喜加持の巻』には、命蓮上人の加持祈祷で、剣の護法童子が転輪聖王の金輪を転がして醍醐天皇の清涼殿に空から現れ天皇の病が治ったという物語が描かれています。
仏教の教えと太陽の動きをダブルイメージさせる信貴山絵巻の転法輪です。
関西に住む私には珍しいのですが、馬頭観音は特に関東以北の東~北日本では日常普通に見られる信仰です。
馬頭信仰はまず始めに 北陸日本海→出羽国→陸奥国のルートで聖徳太子信仰とともに北上 したと推理しています。
当ブログでも取り上げていますが、馬と聖徳太子(厩戸皇子) の関係は深く(聖徳太子と馬カテゴリーで検索)、また厩戸皇子といとこの蜂子皇子(能除太子)が、おそらく太子と協力関係のもと、出羽信仰を布教してゆく中で、馬頭観音スタイルを伝えていったのではないかと考えています。
ごく簡単に言えば、馬は家族、殺生はするな!という不殺生の教え
馬は農耕・馬力仕事、スピーディな移動・輸送を通じて、蝦夷の人々の豊かな暮らしを助ける生き物であり、家族のように仏心で扱いなさい(病気になっても見放したり、ましてや生贄にしたり食べたりしてはいけません※)という教えです。
※についてはあらためますが、飛鳥京の古神道では干ばつや洪水被害の際、馬を生贄にしていました。太子はその行為をたいそう嫌悪した(憎んだ)と推理しています
そして豊かな暮らしをさらに豊かにする女性の仕事として 養蚕(麻織の荒衣あらたえに対して、絹織は和衣にぎたえ)、男の仕事として 鍛冶 を普及させました。
・・・これはあくまでも私の推理ですが、三面六臂の馬頭観音像(真言宗)が六本の手にもつ仏具(道具)の意味を想像してみると
・・・馬を頭にいただく観音の憤怒の形相。その引き換えとして、
・・・鍛冶と養蚕と仏心(契り)。。。仏教の教えと福音。
中でも 転法輪は養蚕の糸車 を意味するものと考えています。
馬頭観音像は、太子(飛鳥時代)の精神を受け継いだ弘法大師(平安時代)の教えです。
(なお右の木像のある馬居寺は聖徳太子の建立と伝えられます)
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このようなモノづくりの道具を仏教に結びつけるやり方は、らしいな、と思ってしまいます。(四天王寺 番匠堂)
そうそう!奉納の幟に名が見える金剛組は、敏達天皇期に創業した日本最古の会社です(本社は大阪市天王寺区)