はじめに
私の古代妄想の原点 #四天王寺。#聖徳太子(推古天皇) はなぜここに #和 のシンボル #日出づる国 の玄関口の大寺を建立したのでしょうか。あらためて整理 #生駒の大鳥
目次
本文
先日の記事の補足で書きました。
生駒の大鳥(開物命名)
今は高いビルに囲まれてほとんど見えず、気が付く人は少ないですが、大阪市内からほぼ真東の生駒山系の中に、羽根を広げた大きな鳥のようにみえる所があり、春分・秋分の日には、ちょうど、その大鳥の頭から日の出を拝めることに気が付きました。
四天王寺・日想観法要と伽藍の秘密
四天王寺では、春分・秋分の日に境内西端の石鳥居のど真ん中に日没することから、毎年二回、西方浄土(阿弥陀世界)に没する太陽を遥拝する 日想観(じっそうかん、にっそうかん) の法要が盛大に行われます。
四天王寺と生駒の大鳥を結ぶライン
(左写真)石鳥居から続く参道のラインは、四天王寺伽藍中心の 転法輪石 を貫き、境内東の 物部守屋祠 を通って、
(写真右)境外に出、御勝山古墳の後円部(墓域)中心を通り、
最終的には、生駒麓の 繩手遺跡(東大阪市立埋蔵文化財センター)を通って、生駒の大鳥を指します。
四天王寺伽藍は、このライン、つまり 春分・秋分の日の太陽の道 をたいへん重視していたようで、それゆえに、左写真のように、西に約3度傾いた配置になっています。
古代河内~上町半島(摂津)を通る太陽の道①【四天王寺~生駒の大鳥】
スパーンと、このラインを描いたものを紹介したことがありませんでしたので、図を作ってみました。
参考までに緯度データを示しておきました。
ちなみに、豊臣秀吉公は、大阪城天守閣から巽(東南)の方角に、この生駒の大鳥を見たらしく、麓の瓢箪山稲荷神社を特別に崇敬したようです。
瓢箪山稲荷神社は、双円墳、つまり、ひょうたん型の古墳(古墳時代後期)に鎮座します。
過去記事のまとめだけで長くなってしまいました。
次回に続きます。