はじめに
生駒の鳴川峠を源流に東大阪市を下る #鳴川 沿いに大鳥の頭を目指す。麓に縄文の #縄手遺跡。「#ヤタガラス は太陽、#ナワテ とは細い長いヤタカラスの神様へお参りする長い参道を意味する」という京都下鴨神社の説明どおり。一帯は弥生・古墳時代遺跡が集積
目次
本文
先日の探険の続き。
大鳥はヤタカラス?足元にナワテの地名
瓢箪山駅からジンジャモール(東高野街道)を南1キロ少し下り、縄手小学校・中学校のあるところから、大鳥あたりを目指すコースです。
大阪には四條畷市(しじょうなわてし)がありますが、ここは東大阪市の四条町といわれる一帯です。(四條畷市は東大阪市の生駒山系沿いの北隣・大東市のさらに北隣ですから違います)
ここから上がろうとした理由は。これです。大阪の日の出は生駒山系です。
「ヤタガラスは太陽を意味」し「ナワテとは、細い(せまい)長い道ということで、ヤタカラスの神様へお参りする長い参道の意味です
なにか手掛かりはないかと。。。おぉ!二本足のカラスがいました。笑
縄手遺跡(東大阪市埋蔵文化センター)
縄手小学校の一角に、東大阪市埋蔵文化センターと縄手遺跡の案内板。
早朝ですし、緊急事態宣言中でセンターはしばらくお休み。
縄手遺跡の遺構をみることができるかも思いましたが、案内板だけでした。
縄手遺跡は縄文時代中期末から後前期半(約4000~3500年前)を中心とした集落遺跡跡で、縄手小・中学校を中心に東西300m、南北に400mの範囲。昭和26年(1951)の学校造成工事の際、弥生時代~古墳時代の土器が採取されて、縄文時代に遡ることがわかりました。近畿でも有数の縄文集落遺跡。これまでの調査では竪穴式住居群のほか、土坑、埋甕、石囲い炉、溝、円形石組のほか、多量の縄文土器(深鉢、浅鉢、注口土器)、石器、土偶が出土。遺跡内には弥生時代終わりごろの壺棺、古墳時代の溝、直径約30mの円墳「えの木塚古墳」。同古墳は、円筒埴輪、子持勾玉などが出土した市内でも最も古い古墳のひとつです
生駒山系の麓の段丘に縄文集落。これは四条畷市・大東市・ここ東大阪市・八尾市に共通しています。後、古代河内湖の後退で集落は高度の低い所に移り、弥生時代~古墳時代に墓域になったイメージです。
道標にもなり、霊的なイメージが高かった大鳥(ヤタガラス=太陽)の山容の麓は、神聖な墓域になったように思います。
鳴川沿いをのぼる道いろいろ
大鳥の頭は、大阪府民の森「なるかわ園地」あたりで、園地への道のりは「なるかわ園地」への幾筋かのハイキングコースになっています。
上る道中に面白いものを発見。太平洋戦争時の不発弾(焼夷弾)でしょうか。案内板も何もありません。コーナーに尾部を見せて立てられています。
マップNo9・分水路と書かれたところ。
マップNo11・二本松古墳。(一辺約20mの方形墳。盗掘されたこん跡。横穴式石室、全長15.8m)
東大阪市内の生駒山麓には、AD550~600年代(古墳時代後期~飛鳥時代)の古墳が多数あり、北から、山畑古墳群(やまはた)、花草山古墳群(はなくさやま)、五里山(ごりやま)古墳群があり、二本松古墳は五里山古墳群に属します。
(続きます)