ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【生駒の大鳥探検(2)】太陽のヤタカラスとナワテの地【縄手遺跡、鳴川分水路、二本松古墳】

はじめに

生駒の鳴川峠を源流に東大阪市を下る #鳴川 沿いに大鳥の頭を目指す。麓に縄文の #縄手遺跡。「#ヤタガラス は太陽、#ナワテ とは細い長いヤタカラスの神様へお参りする長い参道を意味する」という京都下鴨神社の説明どおり。一帯は弥生・古墳時代遺跡が集積

目次

本文

先日の探険の続き。

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目指すは生駒の大鳥の頭 朝の太陽がかかっていますね

大鳥はヤタカラス?足元にナワテの地名

瓢箪山駅からジンジャモール(東高野街道)を南1キロ少し下り、縄手小学校・中学校のあるところから、大鳥あたりを目指すコースです。

大阪には四條畷市(しじょうなわてし)がありますが、ここは東大阪市の四条町といわれる一帯です。(四條畷市東大阪市生駒山系沿いの北隣・大東市のさらに北隣ですから違います)

ここから上がろうとした理由は。これです。大阪の日の出は生駒山系です。

「ヤタガラスは太陽を意味」し「ナワテとは、細い(せまい)長い道ということで、ヤタカラスの神様へお参りする長い参道の意味です

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京都・下鴨神社「カラスの縄手」の伝承

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なにか手掛かりはないかと。。。おぉ!二本足のカラスがいました。笑

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縄手小学校 左)登校路の柵にカラス。右)道路に本物のカラス

縄手遺跡(東大阪市埋蔵文化センター)

縄手小学校の一角に、東大阪市埋蔵文化センターと縄手遺跡の案内板。

早朝ですし、緊急事態宣言中でセンターはしばらくお休み。

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東大阪市埋蔵文化センター

縄手遺跡の遺構をみることができるかも思いましたが、案内板だけでした。

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縄手遺跡の案内板

縄手遺跡は縄文時代中期末から後前期半(約4000~3500年前)を中心とした集落遺跡跡で、縄手小・中学校を中心に東西300m、南北に400mの範囲。昭和26年(1951)の学校造成工事の際、弥生時代古墳時代の土器が採取されて、縄文時代に遡ることがわかりました。近畿でも有数の縄文集落遺跡。これまでの調査では竪穴式住居群のほか、土坑、埋甕、石囲い炉、溝、円形石組のほか、多量の縄文土器(深鉢、浅鉢、注口土器)、石器、土偶が出土。遺跡内には弥生時代終わりごろの壺棺、古墳時代の溝、直径約30mの円墳「えの木塚古墳」。同古墳は、円筒埴輪、子持勾玉などが出土した市内でも最も古い古墳のひとつです

生駒山系の麓の段丘に縄文集落。これは四条畷市大東市・ここ東大阪市・八尾市に共通しています。後、古代河内湖の後退で集落は高度の低い所に移り、弥生時代古墳時代に墓域になったイメージです。

道標にもなり、霊的なイメージが高かった大鳥(ヤタガラス=太陽)の山容の麓は、神聖な墓域になったように思います。

鳴川沿いをのぼる道いろいろ

大鳥の頭は、大阪府民の森「なるかわ園地」あたりで、園地への道のりは「なるかわ園地」への幾筋かのハイキングコースになっています。

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左)ハイキングコース案内 右)縄手中学校グラウンドから大鳥の頭あたり

上る道中に面白いものを発見。太平洋戦争時の不発弾(焼夷弾)でしょうか。案内板も何もありません。コーナーに尾部を見せて立てられています。

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太平洋戦争時の不発弾でしょうか

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写真中央左右が本日歩いたコース。青い筋が鳴川(なるかわ)

マップNo9・分水路と書かれたところ。

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鳴川の分水路

マップNo11・二本松古墳。(一辺約20mの方形墳。盗掘されたこん跡。横穴式石室、全長15.8m)

東大阪市内の生駒山麓には、AD550~600年代(古墳時代後期~飛鳥時代)の古墳が多数あり、北から、山畑古墳群(やまはた)、花草山古墳群(はなくさやま)、五里山(ごりやま)古墳群があり、二本松古墳は五里山古墳群に属します。

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二本松古墳

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二本松古墳石室

(続きます)f:id:Kaimotu_Hatuji:20210505141259j:plain

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