はじめに
縄文以来の木造建築技術。そこに渡来の技術が融合して #四天王寺 は建立され、今もなおその匠の技術は伝え続けられています。#番匠堂は #宮大工(番匠)の人々の叡智とたゆまぬ努力を顕彰するお堂。日本最古の会社 #金剛組
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本文
四天王寺 番匠堂
四天王寺境内の東側、以前紹介した牛王尊(記事中リンク)のすぐ近くに番匠堂(ばんしょうどう)。
番匠とは木造建築も行う古代の建築家のことで、今では、宮大工(みやだいく)さんのことを言います。
私が小学生の遊び場の頃にはなかったですから、昭和50年代に建立(再建?)されたものと記憶しています。
幟の奉納が金剛組になっていますね。
金剛組は敏達天皇(第30代)の時代(578)に、百済から招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの金剛が立ち上げた日本最初の会社です(Wiki参考)
文字起こし)この御堂は日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子を祀る。曲尺(かねじゃく)を携えたそのお姿により世に曲尺太子といわれている。四天王寺は推古天皇元年(593)に聖徳太子が鎮護国家済世利民の御請願により創建されその際、伽藍建立にあたって百済より最新の番匠の技術を招来された。又、聖徳太子は七堂伽藍の建立にはやむをえず大地の産物の命を絶ってしまうので、金槌(かなづち)・鋸(のこぎり)・錐(きり)などに仏性をいれて番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀仏」の名号を書かれ、大工の工事安全と伽藍の無事建立を祈ったと伝えられている。文化国家日本の先駆けとなった四天王寺伽藍の建立は聖徳太子並びに番匠の人々の叡智とたゆまぬ努力の賜物でありその偉業を顕彰し併せてあらゆる建築にたずさわる人々の守護の為、ここに番匠堂を建立するものである。総本山四天王寺
日本最古の会社 金剛組
年間で約500件の神社仏閣の工事を担っているとのこと。
金剛組の宮大工の組織・技術・仕事・伝承方法がよくわかり面白かったです(9分21秒)
ヤマト創世記の後半 神奈備の #三輪山 #狭井坐大神荒魂神社(#狭井神社)#花鎮社 #サイノカミ #やまゆり #出雲屋敷 #媛蹈鞴五十鈴姫命 #ひめたたらいすずひめのみこと