ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【新説・四天王寺】石神堂 御神体の正体【牛王尊】

はじめに

四天王寺、亀井堂の前の #石神堂 #牛王尊。お堂内には大小の臥牛像。大正期の境内図には #石神神社 と。その位置、横長形、大きさから、かつての御神体は境内にあった古墳時代の #長持型石棺蓋 で間違いなし

目次

本文

四天王寺 牛王尊 石神堂

四天王寺・宝物殿の北側、亀井堂の前の牛王尊。小堂の柱に石神堂の木札。

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四天王寺 牛王尊 石神堂

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牛の絵馬

ちょっと失礼して、お堂内の牛王さん。臥牛(寝そべった牛)の像が大小並べられています。南無大聖牛王尊。

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牛王尊

この御堂は聖徳太子四天王寺御創建の時、その材木をひきたる牛伏(?)して石神となり永く衆生を利益せんとの誓願により建立せられたるもの也。いにしえより絵馬を奉納して祈願すれば速やかに心願成就す。特に腫物平癒を祈る人多し。御名号、南無大聖牛王尊と唱えて至心に念ずべし

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牛王尊 縁起と御利益

『大阪四天王寺案内誌』より

1923年(大正12年)に発行された『大阪四天王寺案内誌』には次のように紹介されています(案内誌は国立国会デジタルコレクションでネット閲覧可です)

大正の境内図に描かれている『石神』が牛王尊 石神堂と考えられます。

大阪四天王寺案内誌、39~40ページ。開物現代訳)石神神社。創建当時から由緒のある堂で太子が牛のために供養したところであった。なぜ牛を供養したかというと、当時、伽藍を建立するにあたって、その石材を山城国愛宕郡折田郷土車(今も太子に縁のある寺や旧跡が多い)より運ばれた。今のように鋸(のこぎり)や鉋(かんな)のようなものもなく、ただ人と牛の力によって大業を成し遂げられたのであった。このために犠牲にされた牛は予想外に達したものと考えられる。牛を祀ったこの場所が石神神社となり、今は腫れ物が治るというところから堂内に絵馬がいっぱい奉納されている

ちょうど戦災で焼失する以前にあった用明殿(用明天皇を祀る)の手前、西北にあったようです。

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四天王寺案内誌(1923)添付境内図

牛王(石神)の正体

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現在の四天王寺(グーグル地図)

この一帯を小学生のころ、遊び場にしていた私だからわかる事でもあるんですが、この場所、このカタチ。

これは当ブログで何度か紹介した、古墳時代の石棺の蓋(長持型石棺蓋)です。それも相当に大きなものです。

残念ですが、去年の夏~秋に撤去されてから行方は知りません。

ご覧のように、側面に4本の縄掛の突起があり、手足がある牛が伏しているように見えます。

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長持型石棺蓋(現在は撤去されてありません。2019年春撮影)

www.zero-position.com

4本の赤い朱で塗られた蓋(フタ)の突起の形、大きさは、仁徳天皇陵の推定復元レプリカと同タイプのものと考えられます。

造られたのが古墳時代ですから、この石棺蓋は四天王寺の創建(飛鳥時代)以前からあったと考えられます。

さて誰の古墳のフタでしょうか。以前は仁徳天皇イチ押しでしたが、もう一人、二人、可能性があると考えている人がいます。

そのあたりはまだまだ考察(妄想)不足ですので、まとまり次第いずれ。

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堺市博物館 仁徳天皇陵墓域の石棺(古図に基づく推定復元)

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