はじめに
四天王寺 の山号は #荒陵山 #アラハカ。よく #アラハバキ信仰 との関係が推理されます。春分・秋分の日の出ラインに #御勝山古墳。山号の由来は東で、古墳時代を象徴する #前方後円墳 のことを #荒陵 と称していたのかも知れません
目次
本文
四天王寺伽藍の中心は転法輪石です。
春分・秋分の日に、日の出と日の入の方位を、正しく指すようになっていることからそう考えています。
このことにより、四天王寺伽藍は真北ではなく、西に約三度傾けられた配置です(グーグル地図などで確認してみてください)
荒墓は四天王寺の東?あるいは東西?
興味深いのは、日の出の方位にラインを引いてゆくと、境内では願成就の宮といわれた物部守屋祠があり、
さらに、その先1.8キロ離れたところの前方後円墳・御勝山古墳の後円部中心の墓域を指しています。
前方後円墳では、ほとんど後円部の中心に石棺をおさめる石室があります。
偶然かどうかで意見が分かれるところですが、毎年、春分と秋分の日に四天王寺中心からみると、御勝山古墳から日が昇り、石鳥居(極楽東門之中心)に日が沈みますので、そこに何らかの意味があると考えた方が面白いですよね。
今はその意味するところについてよくわかりません。
しかし不明とされている御勝山古墳の被葬者の推理のヒントになりますし、何よりも四天王寺が現在地に建立された秘密を解くカギになる可能性もあります。
四天王寺の山号は荒陵山(あらはかやま、こうりょうざん)ですが、これは『荒陵(あらはか、荒墓)に寺を建立した』という伝承に基づきます。
荒陵の由来は、西の茶臼山古墳(前方後円墳と考えられる、堀越神社の西)周辺の古地名によるというのが通説で、以前、当ブログでもそのように紹介しましたが、もしかすると荒墓は、四天王寺の東の御勝山古墳に由来するのかも知れません
東西どちらにしても、四天王寺は二つの前方後円墳に挟まれたところに建てられており、それが山号の由来になったかも知れませんし、また、四天王寺創建の頃、前方後円墳のことを荒墓(荒陵)とよんでいた 可能性もあります。
(次回、御勝山古墳周辺リサーチ。近日中)
河内期・物部氏 #倭の五王時代 に台頭し行政全般、特に軍事・祭祀において王権の代執行者となり #巨大前方後円墳の造営 の動員力と広範な #モノづくり パワーを背景に #古代河内湖 沿岸をほぼ掌握しました