はじめに
明日香村 #檜前(ひのくま)に鎮座する #於美阿志神社。大陸からの渡来系 #東漢氏 の氏神。この一族から #坂上苅田麻呂 #坂上田村麻呂を輩出しました。江戸期に描かれた田村麻呂公の足元が気になり、手掛かりがないかとお詣り #檜前寺跡 #宣化天皇 #檜隈廬入野宮
目次
本文
始祖・阿知使主(あちのおみ)夫妻を御祭神(明日香伝承より)とする渡来系、東漢氏(やまとのあやうじ、倭漢氏)の氏神。
阿知使主は三~四世紀(古墳時代)応神天皇の時代、漢から帯方郡(半島北部)に移住し、そこから渡来し帰化した東漢氏の長で「阿智王」とも書きます。
『続日本紀・延暦四年(785年)六月の条』には坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)が西暦770~780年代に二度、東漢氏を代表して 光仁天皇や桓武天皇に奉った上表文(東漢氏の祖・阿智王は後漢の霊帝の曾孫で、東方の国・日本に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきた)が伝わっています。
よく知られる秦氏(はたうじ)とはまた異なる渡来氏族の一大グループです。
坂上苅田麻呂は平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂公のお父上で、息子の発願により北門鎮護・岩木山神社(弘前市)の御祭神です。
気になる坂上田村麻呂公の足元
それにしても江戸期に描かれた坂上田村麻呂公の足元が気になりますね。足まわりの伝承から、このデザインになっていると思うのですが。何か手掛かりがないかと、於美阿志神社にお詣りした次第。
さすがにそれだけで手掛かりなど見つかるはずもないですが(笑)、明日香村の御園~檜前は、想像以上に雰囲気のよいところでした。
於美阿志神社 境内の様子、檜前寺跡と宣化天皇の宮跡の碑
本殿の横に立つ渡来系らしい十三重石塔(重要文化財)。今は上部が崩れて十一重になっています。
日本書紀・天武紀(686年)八月に「檜前寺、輕寺(きょうでら?)、大窪寺に各百戸を封す。三十年を限る」という記述があることから、檜前寺は三十年で取り壊され、その後に於美阿志神社が建てられたと考えられます。
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境内の第28代宣化天皇、檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや)跡の碑。宮の名からして萱葺(かやぶき、庵のような)の簡素な仮宮だったのでしょうか。
第26代継体天皇-第27代安閑天皇から親子で繋がる三代の天皇は、北陸-琵琶湖(湖西)-摂津(淀川流域)-ヤマトを盛んに移動した形跡があり、もしかしたら遠い所から足を運ぶという意味で「おみあし」は、こちらの方かも知れませんね。