ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【飛鳥 於美阿志神社】足元が気になる 平安時代の征夷大将軍【坂上田村麻呂】

はじめに

明日香村 #檜前(ひのくま)に鎮座する #於美阿志神社。大陸からの渡来系 #東漢氏氏神。この一族から #坂上苅田麻呂 #坂上田村麻呂を輩出しました。江戸期に描かれた田村麻呂公の足元が気になり、手掛かりがないかとお詣り #檜前寺跡 #宣化天皇 #檜隈廬入野宮

目次

本文

東漢氏氏神、於美阿志神社

始祖・阿知使主(あちのおみ)夫妻を御祭神(明日香伝承より)とする渡来系、東漢氏(やまとのあやうじ、倭漢氏)の氏神

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312152004j:plain
於美阿志神社(奈良県明日香村檜前)

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312152117j:plain
於美阿志神社 拝殿

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151644j:plain
於美阿志神社 拝殿

阿知使主は三~四世紀(古墳時代応神天皇の時代、漢から帯方郡(半島北部)に移住し、そこから渡来し帰化した東漢氏の長で「阿智王」とも書きます。

続日本紀延暦四年(785年)六月の条』には坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)が西暦770~780年代に二度、東漢氏を代表して 光仁天皇桓武天皇に奉った上表文(東漢氏の祖・阿智王は後漢霊帝の曾孫で、東方の国・日本に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきた)が伝わっています。

よく知られる秦氏(はたうじ)とはまた異なる渡来氏族の一大グループです。

坂上苅田麻呂平安時代征夷大将軍坂上田村麻呂公のお父上で、息子の発願により北門鎮護・岩木山神社弘前市)の御祭神です。

www.zero-position.com

気になる坂上田村麻呂公の足元

それにしても江戸期に描かれた坂上田村麻呂公の足元が気になりますね。足まわりの伝承から、このデザインになっていると思うのですが。何か手掛かりがないかと、於美阿志神社にお詣りした次第。

さすがにそれだけで手掛かりなど見つかるはずもないですが(笑)、明日香村の御園~檜前は、想像以上に雰囲気のよいところでした。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312182200j:plain
菊池容斎前賢故実』より

於美阿志神社 境内の様子、檜前寺跡と宣化天皇の宮跡の碑

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151815j:plainf:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151751j:plain
於美阿志神社 狛犬

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151621j:plainf:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151529j:plain
於美阿志神社 本殿

本殿の横に立つ渡来系らしい十三重石塔重要文化財)。今は上部が崩れて十一重になっています。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151513j:plain
於美阿志神社 石塔

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151946j:plain
境内の檜前寺跡の解説板

日本書紀・天武紀(686年)八月に「檜前寺、輕寺(きょうでら?)、大窪寺に各百戸を封す。三十年を限る」という記述があることから、檜前寺は三十年で取り壊され、その後に於美阿志神社が建てられたと考えられます。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151917j:plainf:id:Kaimotu_Hatuji:20210312151851j:plain
檜前寺跡とガイダンス棟

*****

境内の第28代宣化天皇、檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや)跡の碑。宮の名からして萱葺(かやぶき、庵のような)の簡素な仮宮だったのでしょうか。

第26代継体天皇-第27代安閑天皇から親子で繋がる三代の天皇は、北陸-琵琶湖(湖西)-摂津(淀川流域)-ヤマトを盛んに移動した形跡があり、もしかしたら遠い所から足を運ぶという意味で「おみあし」は、こちらの方かも知れませんね。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210312152033j:plain
宣化天皇 檜隈廬入野宮跡の碑

www.zero-position.com

PVアクセスランキング にほんブログ村ポチっとお願い
ものづくりとことだまの国 - にほんブログ村

アラハバキ解 第32章公開 アラハバキ解(4)京都伏見・稲荷山のこん跡

novel.daysneo.com