ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【四天王寺 石神堂牛王尊】菅原道真公とご眷属の牛の話(後半)【道明寺天満宮】

はじめに

菅公のご眷属が牛、それも #臥牛 である理由2回目。少し京都・北野天満宮から離れて、大阪の #道明寺天満宮 #道明寺(土師寺) 四天王寺 #石神堂牛王尊 で考えました。 #菅原道真公 の祖先 #土師氏 は古代の建築土木の総合請負業であることからの考察

目次

本文

北野天満宮シリーズ(3)・前回の続きです。

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土師氏(はじし)について

菅公は土師氏の子孫として知られています。つまり土師氏の祖・野見宿禰野見宿祢、のみのすくね)の嫡流子孫となります。

ご存じの通り、野見宿禰公は弥生末期の出雲の人で、埴輪造りと相撲の祖でもあります。

本ブログでもたびたび取り上げてきましたので、興味のある方はご覧ください。

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土師氏(はじし)は埴輪造りを源流に土師器(はじき、土器)づくりのほか、弥生期はもちろん、古墳時代には前方後円墳を始めとした古墳造営のスペシャリストで、今風でいえば、土木と建築を合わせたゼネコンような存在だったと言えばわかりやすいかも知れません。

総合的な請負業であったゆえに、列島各地からの動員力はもちろんのこと、工程に合わせた配置や編成などのマネジメント力、石材や木材など各地からの調達力、さらにはそれらの加工技術が必要で、高いレベルの知識と情報力を有する一族であったことは間違いありません。

【土師氏の拠点であった道明寺天満宮大阪府藤井寺市

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【土師氏と聖徳太子の繋がり/道明寺】大阪府藤井寺市

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土師氏と聖徳太子の繋がり、そして菅原道真公との接点が道明寺の略縁起に書かれています。

当寺は菅原道真公が信心をこめて手ずから刻まれた国宝十一面観世音菩薩像を本尊とする、古義真言宗の尼寺です。(中略)聖徳太子がこの地に尼僧の寺院を建立されるに当り、代々仏教導入に積極的であった土師という人が邸宅を寄進(中略)広大な境内に五重塔・金堂等をはじめとする七堂伽藍の完成を見ました。これが当寺の前身土師寺で、その後菅原道真公によって道明寺と呼び改められるところとなり、数多くの仏像、経典美術工芸品、薬品等を宝蔵しておりました。(中略)道真公が大宰府に下向されたるとき、叔母の覚寿尼を訪れて当寺に立ち寄られ一首を残されています。

啼けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の 鳴からむ里の 暁もかな(後略)

鶏が鳴いてしまうからこそ、別れを急ぐことになってしまう。夜明けにその声が聞こえない里であればどんなによいであろうか(文化デジタルライブラリーより)

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道明寺略縁起

土師氏の土木技術の凄さ

古代遺跡を見学してますと、巨大な岩(磐座)や石造物(石棺、石室)など『これ、どうやって運んだんだろう?』という疑問が湧きますが、その「どうやって」を「何とかして」運んでいたのが土師氏。修羅(しゅら)はその道具です。

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道明寺天満宮境内に復元展示されている大修羅と小修羅

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驚きの運搬技術ですが、運搬・施工においては、当然、それなりの人的犠牲もあったものと推察されます。

飛鳥時代・仏教の時代となって高層建築(五重塔や金堂)が多くなると、もちろん、転落や下敷き事故による犠牲も多かったでしょう。

四天王寺の牛王尊 石神堂

話は飛びますが、私の地元・聖徳太子が創建した四天王寺の境内。

小さいお堂で目立ちませんが、その縁起から判断して、創建時からの古い 牛王尊 石神堂 があります。

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詳しくはリンク先をご覧いただきたいのですが、お堂には次のような案内が書かれています。

この御堂は聖徳太子四天王寺御創建の時、その材木をひきたる牛伏して石神となり永く衆生を利益せんとの誓願により建立せられたるもの也(後略)

牛、それも臥牛が祀られています。

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石神堂牛王尊

臥牛は、このお堂のすぐ近くにあった(現在は修理中とのことで見られません)古墳の石棺のフタをモチーフにしていることは間違いありません。

写真は、私が子供のころから野ざらし状態であった『長持型石棺蓋(ながもちがたせきかんふた)』。

まだお堂の近く(宝物館のそば)に置かれていた頃に撮影したもので、私が見てきた石棺の中でも最大級のものです。(この上に乗って遊んだりしていたこともありますが😅)

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長持型石棺蓋(ながもちがたせきかんふた)

側面の4つの縄掛の突起が、4本の足のように見え、牛が伏しているように見えませんか。

この突起に太い縄を掛け、修羅で運び、石棺にフタをしたんでしょうね。

なぜ四天王寺の境内に古墳の石棺のフタが?という疑問については、今回はテーマが違います。ただ、ヒントになるかどうか・・・下に写真を貼っておきます。

四天王寺境内の長持型石棺蓋に見合う石棺や古墳は、仁徳天皇陵クラスの巨大さと考えられます。

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堺市博物館 仁徳天皇陵墓域の石棺(古図に基づく推定復元)

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四天王寺の牛王尊 石神堂が、なぜ、誰のために建立されたのか?・・・ここまでのお話でお判りいただけたでしょうか。

誰のためにとは、難工事で命を落としたりケガを負った工人衆。

四天王寺の建立においては、かつて彼らの祖先が運んだ石棺のフタを石神=臥牛に見立てて、工事の犠牲者を祀ったと考えれば、辻褄があってきます。

(祖先とした理由:石棺はその大きさから古墳時代中期と推定、四天王寺建立は飛鳥時代

臥牛に見立てた石棺のフタが、土師氏を象徴するものとして考えられたのであれば、臥牛が、その嫡流子孫である菅原道真公の眷属になったとしても不思議なことはありません。(終わり)

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