ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

🎵シュラシュシュシュ~ 埴輪づくりと重量物製造および運送業【修羅と土師氏の仕事】

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世界遺産古市古墳群の中心エリア 黄円が道明寺天満宮を中心とした古代土師氏の拠点

道明寺天満宮 境内 復元された修羅

1978年(昭和53年)4月に、道明寺天満宮の近くの三ツ塚古墳(※)の溝から出土した、大小2つの修羅(しゅら)が復元して展示されています。

※助太山・中山塚・八島塚の3古墳の総称。三つ山ともいう。仲津姫古墳の南。藤井寺市道明寺。上のグーグル地図では、八島塚と表示されているところが三つ塚古墳。

下の写真の通り、古墳時代の人々は、このようなソリに大きな石(重量物)を載せて、大勢で引きながら運搬しました。

大修羅は、硬いアカガシの木の二股にわかれた部分を使った長さ8.8メートル、重さ3.2トンの大型のものだそうです。

法隆寺の宮大工棟梁の西岡常一さんが、古代のオノ・チョウナ(カンナ)で、約一か月をかけて造ったレプリカです。

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大修羅(道明寺天満宮 境内)

小修羅は、クヌギ製で、長さ2.8メートルの標準的な大きさ。同じく木の二股にわかれた部分を使っています、

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小修羅(道明寺天満宮 境内)

実物の修羅(大阪府立近つ飛鳥博物館)

実物は、特殊な保存処理をした上で、今は、大阪府立近つ飛鳥博物館(大阪府南河内郡河南町)にあり、

大修羅とともに出土した長さ6.2メートル、直径15センチの丸い棒状の『テコ棒』もあわせて展示されています(こちらもアカガシ製)

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修羅(しゅら)復元された実物(処理済み)国指定重要文化財 大阪府立近つ飛鳥博物館

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修羅の実験(大阪府近つ飛鳥博物館)

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修羅(しゅら)レプリカ 大阪府立近つ飛鳥博物館

古代の木製品は、清涼な地下水脈が豊富な湿地帯で、豆腐のように柔らかいままで出土します。

三ツ塚(藤井寺市道明寺)で出土した修羅も、約1500年間、地中にあったため、出土した時はブヨブヨ。

14年をかけて、保存液に漬けながら樹脂を浸透させる固形化処理がされた後、展示されるようになりました。

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ネットで探しますと🎵こんぴら船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ~

お座敷唄のシュラは修羅のことで、修羅が帝釈天(大石、たいしゃく)を敗走させた(神)話にちなんでいる、という紹介もありました(本当のところは私にはわかりません)

土師氏(はじし)の仕事

土師氏といえば、埴輪でよく知られていますし、実際、修羅が出土した三つ塚古墳あたりは『土師の里・南埴輪窯跡(はにわかまあと)群』史跡でもあります。

同じ場所で埴輪窯跡と修羅が出土したということから、土師氏は埴輪づくりの他、石棺づくり(石工)や運搬など、古墳造営の核心部分の仕事全般を請け負っていた姿が浮かび上がってきます。

今風にいうなら『総合請負業』のような大組織の仕事だったのでしょう

古墳時代、彼らが道明寺に拠点を置き、百舌鳥・古市古墳群といわれる、大型・中型・小型、全サイズの古墳造営にプロフェッショナルとしてかかわっていた古代のものづくりの姿です。

次の記事で木造物の保存について紹介しています

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