ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

古代の木造建築技術

【四天王寺 番匠堂】千四百年、絶えることなく受け継がれた古代の建築技術【日本最古の会社 金剛組】

はじめに 縄文以来の木造建築技術。そこに渡来の技術が融合して #四天王寺 は建立され、今もなおその匠の技術は伝え続けられています。#番匠堂は #宮大工(番匠)の人々の叡智とたゆまぬ努力を顕彰するお堂。日本最古の会社 #金剛組 目次 四天王寺 番匠堂 日…

【仁徳天皇の治水】茨田堤 難波の堀江【秦氏・考】

はじめに 古墳時代中期の #仁徳天皇期。淀川と大和川から流れ込む大量の水を制御するため全長20キロに及ぶ #茨田堤 の水路を造り #難波の堀江 を開削し広大な大阪平野(河内国)を創出しました。謎の #秦氏の姿も見え隠れします 目次 茨田堤(まんだのつつみ…

縄文の竪穴住居 二十年のサイクルと草屋根【藤森昭信氏の縄文的建築・ラコリーナ近江八幡】

はじめに 竪穴住居。縄文の人たちは森が地力を回復する約20年サイクルで建て替えていました。#式年遷宮 みたいですね。住まいは寿命を迎えると #草屋根 となり土に還ろうとします。現代建築にとり入れた #藤森昭信 さん設計 #ラコリーナ近江八幡 #縄文的思…

【能登半島の先端 真脇遺跡】四千年というギネス級の長期間、人々が定住していた縄文遺跡

はじめに 真脇遺跡は能登半島の先端。漁労、狩猟、採集の多様な手段で一年を通じて食糧を確保し #縄文海進 ピーク後の #海退 と #やや寒冷化 をも乗り越えて、四千年という「超」のつく長期定住集落として存続した遺跡 #お魚土器 #ウッドサークル 目次 真脇…

【内真部 大山祇神社 奥宮】青森ヒバの森に鎮座する山神様【ヒノキアスナロの樹】

はじめに ふと出逢った鳥居をくぐり、後で調べて色々知ることも旅の楽しみ。青森市から県道2号線を走って #内真部(うちまんべ)の赤白の鳥居。そばに #大山祇神社奥宮 の案内板。社を囲む青々とした針葉樹は #青森ヒバ #ヒノキアスナロ。古くから建築や漆…

【東大寺七重塔・東塔復元案】ポッチャリとスッキリ どちらが好み?【奈良文化財研究所】

内容 1,300年前 #東大寺大仏殿 とともに建てられた #七重の塔 2基(東塔、西塔)#奈良文化財研究所 が東塔の復元案(重源案、栄西案)を発表しました。1970年 #大阪万博 では #古河パビリオン として再現されました 目次 幻の東大寺七重の塔(東塔)復元案 …

【鹿嶋神社】大和二上山のふもとに海人信仰「鹿島の神」が鎮座する理由★★★

常陸国一之宮(現茨城県の第一番の神社)鹿島神宮の御神祭・タケミカヅチを鎌倉の1172年に勧請(お呼び)した神社が、本日紹介する鹿嶋神社(奈良県香芝市下田西1丁目9−3)。 近鉄・大阪線、下田駅前の国道165線(旧伊勢街道)に面して鎮座してい…

🎵シュラシュシュシュ~ 埴輪づくりと重量物製造および運送業【修羅と土師氏の仕事】

世界遺産・古市古墳群の中心エリア 黄円が道明寺天満宮を中心とした古代土師氏の拠点 道明寺天満宮 境内 復元された修羅 1978年(昭和53年)4月に、道明寺天満宮の近くの三ツ塚古墳(※)の溝から出土した、大小2つの修羅(しゅら)が復元して展示さ…

【発掘・EXPO70(7)】東大寺・七重塔を再現した古河パビリオン【古代の夢・現代の夢】

EXPO70、大阪万博の広大な会場には、斬新なデザインの各国政府館や企業パビリオンが所せましと立ちならび、半年間、つかの間の未来都市が地上にあらわれました。 開会式直前の万博会場 夕景 未来的で奇抜な姿形の建物群に目を奪われる中、奈良時代に存在した…

日本古代製鉄の謎(2)歴史秘話ヒストリア『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』を見て【番組批評・リライト】

*視聴して、同じ意見や印象を持たれた方が多かった(SNS(FB))ようですので、少しリライト(追記)しました。第三版になります(2020年2月18日。初稿2月15日)今後の視聴の参考になさってください。 NHKが相次いで古代の鉄をテーマにした番組を流している…

野宮神社 伊勢斎宮・籠りの宮跡 斎王の野宮をしのばせる黒木鳥居と柴垣【大嘗宮の結界2】

前回(大嘗宮の黒木鳥居と柴垣の結界) www.zero-position.com 先日紹介した大嘗宮の結界。同じ組み方をしている京都・嵯峨野(嵐山)の野宮神社(ののみやじんじゃ)を見学してきた。 大堰川(おおいがわ)が桂川に名前を変えるあたり「渡月橋」をわたり観…

【大嘗宮】聖地(悠紀殿と主基殿)を守る最強の結界【3種の植物と国栖人】

一般公開(皇居東御苑)が12月8日(日)で終了した大嘗宮(だいじょうぐう)。 大嘗宮 南神門 黒木鳥居(クヌギ)ACより 大嘗宮 柴垣(クロモジ)ACより 南神門(黒木鳥居)から向こう(北)側、柴垣で囲まれた所は「聖地」で、柴垣は「聖地」を守る結界…

ものづくりで方言と標準語を創造した縄文はあらためてスゴイ!と思う【今年。北・東日本めぐりのまとめ】

昨日で、この度の「北陸・新潟・佐渡・津軽・福島巡り(仕事の合間の弾丸めぐり)」で、縄文の土器・土偶については、おおよそ書き出した。 www.zero-position.com ヒスイ(翡翠)を始めとした「古代日本海の地下資源」はまだ少し。 www.zero-position.com …

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(5)ハヤブサはイトカワで新発見 私はイトイガワで再発見(=古代妄想)

ご注意)記事中「ハヤブサ」の話はありません。念のため(´▽`) 前回記事(4) www.zero-position.com この国の文化は北・東日本から始まり今に繋がっている 約5,000年前、ヒスイ大珠が作られ始め、海路・陸路で拡散。今より温暖で海が深かった縄文中期の文化…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(4)縄文中期 ギルド工房・匠の技から生まれる大珠(たいしゅ)北・東日本に流通

前回記事(3) www.zero-position.com 糸魚川でヒスイの大珠(たいしゅ)が造られ始め、北日本、東北、関東に広がっていった様子を紹介。 ヒスイ工房遺跡(寺地遺跡、長者ケ原遺跡(記事後半)) 希少な糸魚川のヒスイ(硬玉)産地を流域に持つ、青海川・姫…

国石 ヒスイの古代史(翡翠)(3)縄文中期(約5,000年前)匠文化の萌芽と発展 大珠(たいしゅ)ブーム

前回記事(2) www.zero-position.com ● 約7,000年前(縄文早期)、石器の加工用ハンマーとして始まったヒスイ(大角地遺跡) (写真、左:新潟県埋蔵文化財センター資料より、右:Wikiより) たたき石(ヒスイ)と原料(蛇紋岩) 磨製石斧(Wikiより) 磨製石斧(…

大嘗祭 悠紀殿・主基殿 素木(しらき)の故郷、杣(そま)を守護する山國神社(京都周山)

向こうに山國神社の鳥居 山國(やまぐに) 京都市街北西の周山一帯は、古くは山國(やまぐに)村と云われました。 日本史で「山國」が登場するのは、明治維新・戊辰戦争(1868-1869)の「維新勤王山国隊」でしょうか。 村の郷士80余名が、農民兵として参戦し…

佐渡は古代のタイムカプセル(1)弥生~古墳時代の新穂村玉作遺跡群 軟弱地盤との闘い【蔵王遺跡ほか】

新穂村玉作(にいぼむらたまつくり)遺跡群 国中(国仲)平野にある弥生~古墳時代の集落遺跡。遺跡総面積が47万平方メートル以上の国内最大規模の玉作遺跡群(東京ドーム10個分以上) 蔵王、竹の花、桂林(かつらはやし)、平田、塚田、城ノ畠などの遺…

日本海縄文 巨木文化 ウッドサークルの謎(2) 海沿いの集落に建てられた目的とは? 高度な木造技術

前回 www.zero-position.com 縄文から弥生への移行期にあらわれたウッドサークル ウッドサークル(環状木柱列)(跡)は、今のところ、チカモリ遺跡(石川県金沢市)、真脇遺跡(石川県能登町)、桜町遺跡(富山県小矢部市)の3ケ所で見つかっている。 共通…

神社はいつ、どのようにして始まったのだろうか? 三輪山信仰と大神神社 縄文文化の木造建築技術

私たちが慣れ親しんでいる神社の木造建築様式は、弥生時代のヤマトで確立されたと思う。 www.zero-position.com 唐古・鍵遺跡(紀元前200年~西暦200年)の集落内の棟持柱(むなもちばしら)のある大型建物が、確認されているものでは日本最古級 棟持…

日本海縄文 巨木文化 ウッドサークルの謎(1) 真脇遺跡(能登町)チカモリ遺跡(金沢市)

真脇遺跡 ウッドサークル 空を見上げる ストーンサークルは有名だが、ウッドサークルはあまり知られていない。 考古学では環状木柱列(かんじょうもくちゅうれつ)という。 石川県、金沢市のチカモリ遺跡、能登半島の北・能登町の真脇(まわき)遺跡、 富山…

三内丸山遺跡(2)世界と繋がる 縄文のくり舟 日本海大交易圏

前回からの続き。 遺跡広場を歩いた後、さんまるミュージアムの館内を見学。 (HPより)三内丸山遺跡から出土した重要文化財約500点、総数で約1,700点の遺物が展示されています 重要文化財の「大型板状土偶」をはじめ、「ヒスイ製大珠」「クリの大型木柱」な…