常陸国一之宮(現茨城県の第一番の神社)鹿島神宮の御神祭・タケミカヅチを鎌倉の1172年に勧請(お呼び)した神社が、本日紹介する鹿嶋神社(奈良県香芝市下田西1丁目9−3)。
近鉄・大阪線、下田駅前の国道165線(旧伊勢街道)に面して鎮座しています。
香芝市ホームページには、昭和31年(1956年)、五位堂・下田・二上・志都美の四村合併を機に、鹿島神社に由来する地名をもとに、香芝町の名が誕生したと紹介されています。
古来、このあたりは硬くて丈夫な樫の木が多く自生していたようで、香芝市の『市の木』になっています(市の花はスミレ)
隣接する大阪府柏原市ともども、一帯は、古代、古墳や神社仏閣の造営に利用される丈夫な樫材を始めとした建材の一大供給地だったのでしょう。
山系を超えた大阪府側に古市古墳群。土師氏の拠点であった道明寺からは日本最古・最大の修羅(アカガシ)が出土しています。
鹿嶋神社(奈良県香芝市下田西1丁目9−3)
御祭神:武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ、鹿島大明神)
鎌倉時代の勧請が御由緒になっていますが、それ以前、平安時代中期に編纂された『延喜式神名帳』には現存しない『葛下郡・深溝神社』が書かれており、それが、ここ鹿嶋神社ではないかと考えられているそうです(神社HP)
「深溝」の『溝』は古代の土木建築作業『溝咋、みぞくい』の意を含んでいるかも知れません。
鹿嶋神社にお詣りした目的はただひとつ。
なぜ二上山のふもとに海人信仰の鹿島の神が鎮座しているのか★★★
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
関連する古代妄想を図に描いてみました。
渥美半島(海人)の縄文遺跡(保美貝塚)から二上山のサヌカイトが検出されており、縄文時代から交易路(中央構造線)があったことを示しています。
おそらく弥生期のどこか~古墳時代に鹿島の神を信仰する海人勢力となりました。
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市宮中)には境内社の熊野社があり、立て札には次のように書かれていました。
「和歌山県熊野地方と鹿島は舟による古い交流があり、神縁もあって当社が祀られています」
地勢的に渥美半島を拠点とした縄文血統の海人勢力がその主役で、彼らの一部が吉野に定住し、国栖人(くずびと)と云われたのでしょう。