前回記事(2)
● 約7,000年前(縄文早期)、石器の加工用ハンマーとして始まったヒスイ(大角地遺跡)
(写真、左:新潟県埋蔵文化財センター資料より、右:Wikiより)
磨製石斧(ませいせきふ)は、柄に縄で巻きつけて、木を伐ったり加工したりするのに使う石の斧(おの)のこと。
縄文時代、日本海側から発展した(大型)木造建築技術を支える道具。用途に応じていろいろなカタチやサイズがあったものと思われる。
大角地(おがくち)遺跡(糸魚川市の海岸近く)では、硬いヒスイで蛇紋岩(じゃもんがん)を叩いて荒削りし、最後に磨き上げて作った。
前回記事(2)で「ヒスイは蛇紋岩層に混ざって地上に上がってくる」と書いていたが、縄文時代の大角地の海岸には、蛇紋岩とヒスイがセットでゴロゴロしていた。
人々は、この自然条件を活用して、石器道具を作り始めた。
● 約6,000年前(縄文前期)、小竹貝塚(富山県)で緑の美しい垂飾り(たれかざり)という「玉」として使われたのが始まり
左)約6,000年前、硬いヒスイの加工技術は未成熟で、文字通り粗削り。右)約5,000年前(縄文中期)には孔開け・研磨が「職人技の仕上げ」に進化しているのが見てとれる。
始まりのハンマーの時代から2,000年という大変長い時間をかけて、細部の仕上げと美しさにこだわる日本のものづくりの精神が、練り上げられてきた歴史を見ることができる。
● 約5,000年前(縄文中期)、ヒスイ大珠(たいしゅ)が造られ始め、北日本・東北、関東に流通し始める
ヒスイ大珠は長さが7~9センチ台の楕円形のもの。中央より少し上に孔を開けている。
胸飾りとして利用された。
さてこの大珠。勾玉(まがたま)が登場する約3,000年前まで、貴重品として古代の人々の胸を飾ることになったが、それゆえに縄文中期~後期のものづくりの体制や関東地方に及ぶ交流圏の重要な「物証」になることが徐々に明らかになってきた。(続く)