※ヌナカワは「奴奈川」「沼川」「淳名川」などの表記がある。記事では「ヌナカワ」または「ぬなかわ」とした
ぬなかわの底なる玉のような美しい姫とオオクニヌシの伝説
古事記の大国主の神話の段。ヌナカワ姫と出雲のオオクニヌシが結ばれた話(ざっくりあらすじ)
ヌナカワ姫の美しさの話はオオクニヌシまで届いた。八千矛(やちほこ)と呼ばれたオオクニヌシは舟に乗り馬で駆け、姫のもとに向かった。寝屋から出てこない姫にヤチホコは「今すぐ妻にしたい」と歌を詠んだが、姫は「明日の夜まで待ってほしい」と焦らす。明くる日の夜、姫とヤチホコは結ばれた(古事記ではここまで)
糸魚川地方は古代より「ぬなかわ」と呼ばれ、ヌナカワ姫にかかわる伝承地や神社(奴奈川神社など)が多い。
二人の間に生まれた子が建御名方(タケミナカタ)で、諏訪大社の御祭神になったという伝承もそのひとつ。
ヌナカワ姫はどこにいたのか?
ヌナカワ姫は高志(こうし)のクニを統治していた。現在の福井県から糸魚川地方を含む広大な領土で、後に「越」となり、上越・信越・中越・越後の地名になった。
もちろんヒスイが絡むので、中心地(都)は糸魚川だっただろう。
ヌナカワヒメとオオクニヌシの神話はヤチホコの在位が推定される紀元前250~200年の間のどこか(約2,200年前)
このシリーズで紹介したように、糸魚川では縄文時代(約7,000年前、大角地遺跡)からヒスイが利用され、大珠(たいしゅ)は約5,000年前から、長者ヶ原(段丘)、寺地(海岸沿い)のヒスイ工房で加工された。
そして約3,000年前から勾玉(まがたま)がつくられ始める。
つまり、ヌナカワヒメの時代には勾玉を作り始めて700年、ヒスイ工房の始まりからすでに三千年近い(クニの)歴史があったということになる。
今のところ、ヌナカワヒメの住まいがあったのは長者ヶ原の方と考えている。
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
● 長者ヶ原には縄文(大珠)~弥生(勾玉・管玉)~古墳時代(勾玉・管玉)の間、継続して工房があった
● 広大で、現在のところ全体の10%ほどしか発掘されておらず、今後の調査でヌナカワヒメの証拠が出てくる可能性はある
● 「長者ヶ原のビーナス」が出土している
(女性(ヒメミコ?)信仰の可能性。現在一体。他の縄文遺跡にはない形。今後似たような土偶が出土する可能性はある)
● 一号建物と名付けられた中心的な建築物は棟持柱(むなもちばしら)のある特別な建物でヒメミコの祭祀施設だった★★
(棟持柱の建物は弥生時代集落の中心的建物。伊勢の唯一神明造に継承される)
● ヒメミコの祭祀文化はヌナカワヒメの時代まで続いた★★
記事・最終セクションで長者ヶ原遺跡の紹介
続きます。