ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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国石 ヒスイの古代史(翡翠)(9)物部氏とヒスイの特別で重要な関係 ★★★ 物部さん考(15)

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

前回、ヒスイ勾玉と物部氏には「ある特別で重要な関係」が推理され、実は、それが物部氏(宗家)が徹底的に滅ぼされ、ヒスイが隠ぺいされた理由ではないかと考えている、と書いた。

前回記事

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古代の経済学の基礎(成り立ち)

答えの前に物々交換から始まった古代の経済のことを少し。

物々交換の経済は「モノ」と「流れ」と「交換(場)」で成り立つ(商品―流通―市場)

縄文中期にヒスイ大珠・小珠が北・東日本に広がったのは、それぞれの集落に交換の場、市場(いちば、マルシェ)ができていたのだろう。

縄文海人の行き来で、黒曜石・サヌカイトなどの石器のほか、南洋の貝殻加工品が北海道で出土するなど、広く分布した。

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時代時代 集落マルシェ

なお、縄文中期(約5,000年前)には、例えば、三内丸山(青森県)の大型竪穴住居の用途が「交易」であるならば、モノの交換だけでなく、飲食や宿泊などのサービス業もあったことを意味する。

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ヒスイと鉄鋌(てってい)

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鉄鋌 葛城市歴史博物館

一気に時代は下るが、鉄鋌(てってい)とよばれる鉄製品が、河内・物部氏が栄えた近畿中央と、韓半島南部で多く出土し、活発な交易があったことを示している。

鉄鋌は、工具・農耕具・武具などをつくる中間原料として使われたほか、財的な価値があると考えられたようで、前方後円墳に副葬されている。

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近畿中央 鉄鋌出土状況 大阪府立近つ飛鳥博物館

面白いのは、取引してから海路を運びやすいように、あらかじめ決められたサイズ・重量に揃えられている点。

規格があったということは、秤(はかり)取引があり、今でいうところの交換取引市場(しじょう、マーケット)があったことを意味する。

物部氏は、このある種「通貨」のような鉄鋌を「輸入」し利益を得ていた。

さて問題は何を「輸出」し、鉄鋌と交換していたのか。

ヒスイ(勾玉、原石)の可能性が非常に高い

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古墳時代 国際マーケット

半島北部(楽浪郡)で国境を接する当時の中華王朝でもヒスイ(硬玉)を珍重していて、最高品質の糸魚川産のヒスイの需要は十分にあったはずだ。

続きます。

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