前回記事
なぜヒスイは千三百年もの間、忘れ去られていた?
日本では、奈良時代中期を最後に、文学者・田中御風さんの推理でヒスイ峡が再発見された昭和初期まで、糸魚川で原石が採れることすら 忘れ去られて いた。
糸魚川にヌナカワヒメ伝説は残っていたが、ヒスイ産地であることは伝承も残っていなかった。
これは異常な状況だと思う。
結論からいうと 組織的に隠ぺいされた からだと考えている。
縄文時代(七千年前)から奈良中期(千三百年前)まで、約六千年続いた歴史が、ふつう、伝承もなしに忘れ去られるだろうか。
何かの強い意図をもって隠ぺいされない限り、そんなことが起きるとは、とても考えられない。
そのあたりを考えるため、糸魚川ヒスイの歴史をざっくり書きだした(■▲は開物加筆)
雰囲気BGMにどうぞ(初期音量にご注意)
(シャレード(1963)オードリー・ヘップバーン主演。ヘンリー・マンシーニ作曲、ジョニー・マーサー作詞)
ヒスイ漬物石をキーパーツに推理サスペンスを構想したが、あまりにベタで断念 ミュージックだけ
ヒスイが「隠ぺい」された理由 ★★
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
ヒスイの古代史を追い、縄文時代までさかのぼり、弥生・古墳時代のヒスイ勾玉まできたが、グルッと巡って物部氏の話になるのは、はじめから計算していたわけではない。笑
本来なら「ヒスイ勾玉の誕生」が先だが、終わりからの方が、当ブログ・物部さん考シリーズの流れで書きやすい。
物部氏(宗家)の滅亡で、副葬品としてのヒスイ勾玉は一気に衰え、大化の薄葬令で、生産も含めて 禁止された のではなかろうかと考えている。
物部氏は前方後円墳の「事業」を通して生産力と財力を集中、当時列島のクニ全域に影響を及ぼし(前方後円墳の広がり)、その権威はヤマト王権を凌駕するほどに膨張した・・・そのシンボルのひとつがヒスイ勾玉だったということ。
この妄想を前提にすると、ヒスイ勾玉と物部氏には「ある特別で重要な関係」が推理される。
実はそれが物部氏(宗家)が徹底的に滅ぼされ、ヒスイが隠ぺいされた理由ではないかと考えている
(続きます。次回はMAX★★★)
シャレード。ざっくりあらすじ(Wikiより。加筆)
富豪の夫チャールズの妻レジーナ。一人旅からパリの自宅に戻ると、家財道具がなくなり夫は姿を消していた。司法警察のグランピエール警部が現れ、夫の死を告げる。警部によればチャールズは財産を競売にかけ、代金25万ドルを持って列車に乗ったが何者かに突き落とされたという。警察署で夫の遺品(小さなバッグに手帳、櫛、万年筆、レジーナに宛てた未投函の手紙、偽名のパスポート4通)を受け取り、レジーナは警察署を後にする。遺産らしきものはなく混乱する彼女。遺品に隠された謎。そして夫の遺産を狙う謎の一味がレジーナに迫る。果たして25万ドルの行方は!?