ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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八尾市立歴史民俗資料館・所蔵【ヒスイ製の鏃(ぞく)】世界で2品しかない珍品【国石 ヒスイの古代史(翡翠)(14)】

玉祖(たまのおや)神社にお参りする前に、麓の八尾市立歴史民俗資料館にお伺いし、ヒスイ勾玉について丁寧に教えていただいた。

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八尾市立歴史民俗資料館

収穫のひとつをご覧いただこう。残念ながら資料写真だけ。現在、実物は展示されていない。

写真の下段、八尾市大竹(心合寺山古墳)出土のヒスイ製の鏃(ぞく)。いわゆる装飾の矢じり(7.4センチ)

(Arrowhead―shaped Jade、矢じりの形をしたJade、ヒスイ)

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八尾市大竹出土のヒスイ製の鏃(ぞく)裏・表

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八尾出土品を拡大

「ヒスイの鏃」そのものが初見でビックリしたが、それもそのはず、

今のところ、八尾と韓半島南部の古墳でしか出土していない珍品

韓半島の博物館の出版物に掲載されたもので、半島のヒスイの鏃(ぞく)は4.1センチ。

館長さんがわざわざ探して来て見せてくださった(了解の上、撮影)

八尾と韓半島南部で出土する理由

ヒスイの鏃には驚いたが、八尾と韓半島南部でしか出土しない理由は、当ブログ・ヒスイの古代史シリーズで考察してきたことと矛盾しない。

www.zero-position.com

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マーケットは韓半島南部にあった

古墳時代の河内・物部氏は歴代の中国王朝で貴重品のヒスイ(おそらく原石)を半島経由で輸出し、南部のマーケットを通じて、古墳造営(国土開発)で需要が沸騰する鉄鋌(てってい、鉄製品の加工原料)を輸入していた。

マーケットでの円滑な取引には平和な情勢が必要で、半島のヒスイの鏃は玉作部が造り、先方の部族との友邦の証として提供されたのだろう。

原材料(色)の珍しさのほか、

薄さとこだわった仕上げ、縄文の大珠・弥生の勾玉の流れを汲む穿孔(孔開け)技術は日本独自のもので、河内・物部氏が独占していた職人集団・難波玉作部の技(わざ)によるものと考えるのが自然だ。

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資料の171ページ

玉作職人集団の集落について

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地図で左(大阪側、西)に玉祖神社の一の鳥居と付近に高安小学校・中学校があるが、学校敷地内で未完成品を含む勾玉・管玉が多数出土しているとのこと。

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玉祖神社 一の鳥居(Googleストリートビューより)

出土品は八尾市立歴史民俗資料館で収蔵されている(展示されていない)ほか、大阪府の博物館で展示されているという。今後、情報を集めながら見学して回りたいと考えている。

なお、未完成品が出土するのは、糸魚川・長者ヶ原遺跡や、佐渡・新穂玉作遺跡と同じで、製造技術と職人集団が地場産業的に集積していたことの証拠となる。

玉祖神社と小中学校の中間にある都夫久美(つぶくみ)神社(水越遺跡)あたりが「中の森」と云われていた理由も、地図を見ているとわかる。玉祖神社は「奥の森」「上の森」とでも云われていたのだろうと妄想する。

出雲(宗像)式で云うなら、一の鳥居あたりは「辺の森」、あるいは「下の森」だろうか。

八尾・ヒスイの鏃、色について(追記)

ヒスイは一般的に「緑、翠、碧」が知られているが、他に「紫」「黒」「白」「黄」などがある。八尾の鏃はおそらく「黒」系、薄造りで光を透過して「あめ色」に見えると推察される。

唐古・鍵考古学ミュージアム、宝石箱のヒスイ勾玉のひとつは「白・黄」系。

いずれにしてもジェード(Jade、ヒスイ硬玉)の中でも大変、珍しい色合いのものだ。

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