前回記事(1)
ヒスイのざっくりした歴史(フォッサマグナミュージアム(糸魚川市)展示・資料をもとに加筆作成)
● 約7,000年前(縄文早期)、石器の加工用ハンマーとして始まったヒスイ(大角地遺跡)(前回)
● 約6,000年前(縄文前期)、小竹貝塚(※記事末)で緑の美しい垂飾り(たれかざり)という「玉」として使われたのを始まりに、
● 約5,000年前(縄文中期)、ヒスイ大珠が造られ始め、北日本・東北、関東中心に流通
● 約3,000年前(縄文後期、西日本では弥生早期)、ヒスイ勾玉が造られ始め、全国に流通し、
● 約1,200年前(奈良時代中期)、東大寺(法華堂)の仏像の宝冠を最後に使われなくなり、
● 1938年(昭和13年)に再発見されるまで、一千年近く、忘れ去られていた(漬物石になっていた)
日本の古代の謎を解く貴重な物証
宝飾品としてのヒスイは、特に、縄文中期~弥生~古墳時代の「産地-消費地のモノの流れ」とともに、日本の古代文化や勢力(圏)の消長を考える上での「物証」として、あらためて注目度が高まっている。
1938年に再発見されるまで、日本の産地は知られておらず、大陸からの由来説を前提に論じられていたが、糸魚川でヒスイ峡が発見されてから、「日本独自の古代文化・ものづくり技術」として認識されるようになった。
【ざっくり】ヒスイ(変成岩)はどのようにしてできるのか?どこで拾えるのか?
以前。日本列島の岩石のでき方をざっくり解説した記事。
太平洋(海底)プレートが日本の下に潜り込むとき、海底堆積物がはがれ「付加体」となって列島にくっついてゆく。
付加体は深い地下(30-80km)の超高圧下、ナトリウム(Na)、アルミニウム(Al)ケイ素(Si)が熱水(H2O、250-260℃)でグツグツと煮込まれた結果、ヒスイ(NaAlSi2O6)が結晶化する(←紹介したのは最有力の説です)
結晶はそのままだと地中深くに眠ったままだが、熱比重の軽い岩石(蛇紋岩)の流れに混ざって、地表近くまで上昇する。
(下の図、ヒスイの混ざった岩石層は青っぽい色の部分)
蛇紋岩とともに地表近くまで上昇したヒスイは、水の浸食や風化作用で、地上に現れ、がけ崩れなどで、くぼ地にゴロンゴロンと転がって行って一か所に集まる。これが小滝川などのヒスイ峡。
ヒスイ峡のヒスイは砕けて丸くなりながら、川(姫川や青海川)をゴロゴロ下って海に流される。
海に流されたヒスイは、今度は波にあおられて海岸に戻ってくる。これがヒスイ海岸。
これが分かれば、どこで糸魚川産のヒスイが拾えるか、お分かりいただけるだろう(小滝川ヒスイ峡は天然記念物指定のため採集禁止)
続きます。