ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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国石 ヒスイの古代史(翡翠)(4)縄文中期 ギルド工房・匠の技から生まれる大珠(たいしゅ)北・東日本に流通

前回記事(3)

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糸魚川でヒスイの大珠(たいしゅ)が造られ始め、北日本、東北、関東に広がっていった様子を紹介。

ヒスイ工房遺跡(寺地遺跡、長者ケ原遺跡(記事後半)

希少な糸魚川のヒスイ(硬玉)産地を流域に持つ、青海川・姫川周辺には、9ケ所の縄文中期遺跡が発見されている。

このうち、海沿いの寺地遺跡(石斧とヒスイハンマー利用の大角地遺跡に直近)、段丘の長者ケ原遺跡でヒスイ大珠の加工跡が見つかっている。(寺地遺跡にも巨大木造、四本柱のウッドサークル)

ヒスイ工房遺跡と判断できるのは、大珠の完成品が少なく、加工用の石器や半製品が多数出土しているから。

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長者ケ原考古館 ビデオより(糸魚川市周辺の縄文中期遺跡)

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大珠の製造工程(新潟県埋蔵文化財センター資料より)

この工房遺跡の形は、日本の地場産業のおこり、ヨーロッパのギルド的体制の間接的な証拠になり、佐渡島・管玉(くだたま)匠集団のムラ、玉作遺跡(約2,000年前) と同じ構図で、つまり、糸魚川のものづくり方式が佐渡に継承されたと考えるのが自然だ。

構図とは産地と消費地の関係から生まれる「工房遺跡」のこと。

産地では消費地に向けて、できるだけ多くの「よいモノ」を供給するため、工程ごとに分業化・専業化が進み、匠(たくみ)が生まれる。

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大珠の分布から見える縄文中~後期の文化圏・交流圏

分布図は、縄文時代を考えるうえで、大変重要な情報を含んでいる。

さらに弥生時代への変化を考える時の貴重な参考になる。

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長者ケ原考古館資料より

● 「信濃川中流域」は火焔型土器が発祥したエリア

● 「東北北部」および「北海道渡島」は後(3,000~2,300年前)の遮光器土偶の文化圏アラハバキ信仰圏、東日流(つがる)勢力?圏)

● 「那珂川流域」および「東京湾周辺」は関東縄文の中心エリア縄文時代、現在の首都圏・都心部は海の底)

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● 糸魚川に隣接する現在の「富山~石川~福井一帯」は西日本との境界エリア日本海交易ルート)

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● 八ヶ岳山麓諏訪湖周辺エリアミシャグジ信仰圏 → 諏訪大社信仰に移行または習合?)

● 伊那谷静岡県・縄文の中心、登呂遺跡~渥美半島に至るエリア

大珠から見える古代の交易路(関東への新潟・福島ルートと長野・山梨ルート)

すべてについて語り出すとキリがない。ひとつ「海をわたったヒスイ展(新潟県埋蔵文化財センター、終了)」より資料を。

糸魚川の産地から、おおむね、新潟・福島側と長野・山梨側から関東に向けて、大珠が分布するルートが見える。

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ヒスイ大珠の分布と流通

もう少し解説記事が続きます。(次回、なぜヒスイ大珠は流通したのか?)