ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください


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国石 ヒスイの古代史(翡翠)(5)ハヤブサはイトカワで新発見 私はイトイガワで再発見(=古代妄想)

ご注意)記事中「ハヤブサ」の話はありません。念のため(´▽`)

前回記事(4)

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この国の文化は北・東日本から始まり今に繋がっている

約5,000年前、ヒスイ大珠が作られ始め、海路・陸路で拡散。今より温暖で海が深かった縄文中期の文化・交易圏は圧倒的に北・東日本。

火焔型土器など「モノを通しての信仰的な表現」の華がひらき、三内丸山を始め、当時、日本海に接した集落に櫓(やぐら)やウッドサークルなど「巨大木造建築」が林立した。

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火焔土器(馬高遺跡、新潟)、水煙土器(曽利遺跡、長野)

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三内丸山遺跡青森市 巨大櫓と竪穴住居、真脇遺跡・石川県能登町 ウッドサークル

何よりも、豊富な地下資源を背景にした「匠集団」の存在は刺激的。

高度な木造(きづくり)加工も、高度な道具、つまり石斧(せきふ)があって始めて可能だ。そして石斧を作るのにヒスイが使われた。(このシリーズ3回目)

これらの事実を繋いでみると、後の弥生・古墳時代、そして今に至る日本文化のベースが縄文中期には出来上がっていたことを確信するとともに、自分の中で縄文時代のイメージが「音を立てて」変わり始めている。

糸魚川からヒスイ大珠(たいしゅ)が流通した理由(分布図は前回(4))

以下は「海をわたったヒスイ展(新潟県埋文センター、終了)」目録より、明治大学の栗島義明先生の寄稿のポイント要約。

● 大珠は原産地(糸魚川)から直線距離で100km以上離れた場所で見つかることが多い

● 糸魚川からの持ち出しは「新潟・福島ルート」「長野・山梨ルート」がメイン(昨日記事)

● ヒスイ大珠は大規模集落(=環状集落)で検出され、ほとんどが墓域中央の墓穴から副葬状態で出土する

● このような事例からヒスイ大珠は集落の高位・重要な人物と結びついた装身具であると考えられる

● 関東では、コハク製大珠(原産地は銚子市周辺)が発見される例が増加している(長野県以北では発見されない)

権威を象徴するモノ(権威をコトダマとして発するモノ)

縄文時代、集落単位で最も高位な人(女性かも知れない)は、墓域の中心に葬られ、希少で珍しい副葬品とともに葬られた。それが大珠(たいしゅ)だったということ。

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大珠(たいしゅ)長さ7~9センチ台が多い

「希少で珍しい」副葬品が、その人物の生前からの「権威を象徴」するモノであるなら、大珠に続く勾玉はもちろん、弥生・古墳時代の銅鏡(どうきょう)・銅鐸(どうたく)なども同じ。(銅剣、銅矛(どうほこ)、銅戈(どうか)も)

銅鏡・銅鐸などは当時入手が難しかった青銅を原料に、各時代の最先端、「匠の技」で造られている点で、大珠と共通する。

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令和天皇の御代替り(みよがわり、御世替りとも)で再三登場した「三種の神器」は絶対唯一の権威を象徴するモノだ。

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最後にやっぱり。奥明日香・稲淵、かかしアート(令和元年秋)はよ戻ってこ~い

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ハヤブサイトカワ