ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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なんだ、コレは! 岡本太郎が博物館で縄文に出会った話(1)【四次元との対話 縄文土器論】

なんだ、コレは!

大きな声が館内に響いた。

岡本太郎さんが博物館の片隅に置かれていた土器・土偶を見て、あげた叫びだ。

この瞬間から縄文の土器・土偶が広く知られ、1970年大阪万博の「太陽の塔」が「建立」されるに至る。

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新潟県立歴史博物館(長岡市)秋の特別展「はにわ、どぐう、かえんどきの昭和平成」(11月4日終了)では、

フランス留学を太平洋戦争で中断、出征帰国後の1951年、東京国立博物館で「縄文」と出会った逸話のコーナー展示があった。

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太郎さんが博物館で出合った縄文たち(一部)

その中で太郎さんの有名な「四次元との対話 縄文土器」が紹介されていた。

四次元との対話 縄文土器論(冒頭)文字起こし(前半)

縄文土器の荒々しい、不協和な形態、紋線に心構えなしにふれると、誰でもがドギッとする。なかんづく、爛熟(らんじゅく)した中期の土器の凄まじさは言語を絶するのである。

激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋廻する隆線紋(りゅうせんもん)、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った(すきとおった)神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激超を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄み(すごみ)である。

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火焔土器(馬高遺跡)両サイド

常考えられている和(なご)やかで優美な日本の伝統とは全くの反対物である。従って伝統愛好者や趣味人達には到底すなおに受け入れられないらしい。いったいこれが我々の祖先によって作られたものなのだろうか、という疑問が起って来るのも一概頷けないことではない。弥生式土器や埴輪などには我々に連なる、いわゆる、日本的感性を素直に看取ることができる。

しかし、縄文式はまるで異質の如くであり、直ちに伝統と結びつけては考えられないというのが一致した観方(みかた)のようだ。

縄文式の重厚、複雑な、いやったらしい程、逞(たくま)しい美感が現代日本人の神経には到底たえられない、やりきれないという感じがする。

そこで己の神経の範囲で遮断し、自動的に伝統の埒外に置いて考えるのである。

岡本太郎「四次元との対話 縄文土器論」冒頭(みずゑ、558号)より

*****

終戦直後、登呂遺跡(静岡県)の発掘で自信を喪失した日本人の心に火が灯った。

しかし戦前教育(日本神話、皇国史観)は今でいう弥生時代が中心の話。

戦前でも北・東日本各地で発見発掘されていた縄文様式は、あまりに弥生様式と隔絶し(ているように思われ)考察も進んでいなかった。

そういった考古学や教育、芸術分野の当時の雰囲気に対する、一種の檄文(げきぶん)とも受け取れる。

しかし、そこは太郎さん。芸術家とは思えない「それは仕方ないよね。しかしっ!」式の展開で、縄文の四次元世界の「スゴい伝統」を日本社会に発信したのだ。

当時最先端の民俗学をパリで学んだ、さすが、小説家・岡本かの子の息子。

万博で「メシの種」にもならない、でも、今でも多くの人々の心をオナカイッパイにしてくれる、太陽の塔を、ついに立ててしまったスーパーリアリストの名文だ。

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