幻のオリンピックポスターモデル・武人の埴輪
新潟県立歴史博物館(長岡市)で開催されていた秋の特別展「はにわ、どぐう、かえんどきの昭和平成」(11月4日終了)より。
昭和・平成の時代の世相の中で登場した「埴輪(はにわ)、土偶(どぐう)、そして新潟県の誇る火焔土器(かえんどき)」を、各時代の資料(書籍、ポスター、マンガなど)とともに紹介することをテーマとした企画で、見ごたえがあった。
会場で最初に目がついたのが武人の埴輪。
この埴輪、日中戦争(1938年)の勃発で中止、幻のオリンピックとなった1940年・第12回東京オリンピックのポスターのモデルになったという(埼玉県熊谷市上中条、東京国立博物館所蔵)
会場では特別展の仕掛人、専門研究員・宮尾享さんに縄文土器について、直接、質問し教えていただいたこともあるが、それはまたあらためて。
火焔土器を聖火台に
歴史博物館を見学した後、車で数分の馬高縄文館に。
館の玄関に、ポスターと日本遺産の認定証の展示。
ポスターには、
火焔形土器を2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に
と書かれている。
これには次のような過去の経緯がある。
幻に終わった1940年のオリンピック。
日本国民の夢は1964年10月、東京オリンピックで叶えられた。
しかし、その4か月前の6月、新潟を大地震が襲った。
私は大阪の小学生だったが、爆発した石油タンク群からもくもくと上がる真っ黒な煙の写真を見て、すごく怖かったことをよく覚えている。
この年の国体は新潟で行われており、通常、国体は秋に開催されるが、オリンピックと重ならないよう、春と夏に分散させた変則開催だった。
ところが春開催の閉会数日後に地震が起き、結局、夏開催は中止となった。
この時のメインスタジアム、現・新潟市立陸上競技場の炬火台(きょかだい、オリンピックの聖火台と同じ)に火焔型土器像が採用されていた。
つまり、火焔型土器の火は、半ばで消さざるを得なかった。
新潟の夢は「不完全燃焼のまま」、今に至っているともいえる。
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さて、半世紀(56年)にわたる新潟の夢は、来年のオリンピックで叶えられるのだろうか。
今のところ東京オリンピックの聖火台については、秘密のベールに包まれているようだ。
火焔型土器の誕生(縄文中期)から五千年。
この国の長い歴史と遠いご先祖様に思いを馳せながら、大きな土器に火が灯るのを、ぜひ見てみたいものだ。