ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

なんだ、コレは! 岡本太郎が博物館で縄文に出会った話(2)【なぜ太郎さんは縄文に惹かれたのか?雑考】

目次

本文

前回記事

太郎さんは多弁なゲージツ家だ。

前回記事の「四次元との対話 縄文土器論」は、推敲して書かれた、文字通り論文のようなもの(前回の引用の後半は、この記事末に後半続き)

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岡本太郎の本・呪術誕生(みすず書房)より

もうひとつ、縄文と出逢った時、素に近い気持ちを書き残している。

・・・何だろう。縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。こんな日本があったのか。いや、これこそが日本なんだ。身体中の血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃えあがっている。異様なぶつかり合い・・・

それは「心身がひっくり返るような発見」だったと。

弥生からの歴史観が中心の戦前・戦中、不遇を過ごした「縄文」は、一人の異才の巫(かんなぎ)を通して脚光を浴び、多くの人が知るところとなった。

元をたどれば、今日の縄文人気は、太郎さんが居なければ、なかったかも知れないと云われている。

さて、縄文の何が、太郎さんのその後の人生を決定づけるほどの強烈なインパクトを与えたのか、考えている。

今のところ、私は二つ。

ひとつは母親のかの子さんの影響を強く受けた人であること。一言で言えばマザコンではなかったかと。

もうひとつ、太郎さんの作品を通じて「直線」がないこと。むしろ排除された「直線嫌悪」のようなものすら感じる。

パリで、ピカソはもちろん、キュービズムのシンボル的存在、カンディンスキーと交流があった人だが。

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季刊民族学 165.2018より

まとめると、縄文に「わき上がる情念(女性的なもの、母性?)」のような、地の底から湧き上がり、天に向かって揺らぐような意識(目に見えない)を感じたのだろうか。

ただなぜ「ぶつかり合い」なのか、その意味は正確にはわからない。

母・かの子さんは、燃える火のような人だったのか。

母性と言えば、先日「縄文土器は集落の女性が造っていた」という話を紹介したが、考古学でそのように考えている人がいることを知った。

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妄想・空想は自由で、正解も間違いも、幼稚も成熟もない。よかったら皆さんも考えてみてください。太郎さんの思念を通して、縄文というものを理解できる気がしている。

それほどに縄文の精神は高度(難解)で、便利な文字表現に慣れた現代人は、むしろ、パターン化し、その意味で退化しているのではと考えたりもする。

新潟県立歴史博物館「はにわ、どぐう、かえんどきの昭和平成」(11月4日終了)

実はそのような縄文や太郎さんに対するイメージを持っていたので、展示の縄文土器に「おやっ!?」と思い、そばにいた館員の方に質問したところ、

新潟県立歴史博物館「はにわ、どぐう、かえんどきの昭和平成」(11月4日終了)の仕掛人、専門研究員・宮尾享さんが、わざわざ出て来てくださった。

次回、その話を少し。

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四次元との対話 縄文土器論(冒頭)文字起こし(後半、前回の続き)

季刊民族学165.2018は、国立民族学博物館(大阪・万博記念公園内)売店で購入できる。

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季刊民族学 165.2018

確かに文化史的に見ても、また形態学上からも、縄紋式とそれ以降の文化との間には一応の断層があり、次の弥生式と現代日本は一つの系統として連なっている。

しかし、だからといって類型的な連続のみが伝統であると考えるには余りにも機械的であり、素朴である。

いったい伝統とは何であろうか。やや横道にそれるが、この問題を明確に掴んで行かない限り、如何なる精密なる考察も無益であり、現代の日本人として主体的に縄紋式文化を把握することは出来ない。本論に入る前に一応この点を検討してみたいと思う。

我々が伝統と考えるものは己の外にあるのではない。それは必ず自己×過去である。己というものを土台にし、常にそれを通して、過去を見るのだ。そして我々は決して正直に見ているのではない。己のテンペラメント(気質)に符合させ、都合の良い面だけを取り上げる。

云いかえれば意識、無意識に、己の与えられた位置を正当化するための努力が全面的にはたらくのである。

私はそれが悪いというのではない。実際に、自己を外にして成り立つ伝統というものは決してあり得ないからである。

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