奈良県広陵町 #巣山古墳 2回目。#二上山 を眺める #島状遺構(出島状遺構)。今は周濠の水底に隠れていますが、ここからは #水鳥型埴輪(3体セット)のほか、何種類かの #形象埴輪 が多数出土しました。#広陵町文化財保存センター
目次
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巣山古墳からの(二上山の)眺め
4世紀末築造(前期古墳と中に古墳の過渡期)、墳丘長200m超の巣山古墳。
王墓クラスの規模ではありますが、宮内庁からは治定墓はもちろん陵墓参考地にも指定されていません。
そのおかげ?で、学術調査が可能で、これまでの発掘物は、広陵町文化財保存センター(広陵町町役場、平日のみ開館)で、まとめて見ることができます。
①の撮影地点からの視界。ここからだと 島状遺構 の向こうに二上山〜葛城・金剛山系を見ることができます。
(葛城・金剛山系の麓は奈良県御所市。葛城の「鴨族」発祥の地)
水鳥のカタチをした?島状遺構
今は周濠の水底の島状遺構は、巣山古墳に付属する祭祀場と考えられ、そこには、水鳥形埴輪(3体セット)の他、囲形埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪、柵形埴輪が置かれていました。
二上山を眺める前方後円墳に付属する周濠に突き出した島状遺構から水鳥型埴輪の、しかも3体セットが並べられた形で出土した状況は、津堂城山古墳(大阪府柏原市)とまったく同じ。二つの古墳の他に類例はありません。個人的に、同時代・同サイズの二つの古墳が対を成すのでは?と直感した点です。
囲形埴輪は宮殿または神殿、家型埴輪は王宮、柵形埴輪は王城を囲む城壁を表現すると考えられています。
はじめてパネルを見た時、島状遺構の特徴的な突起は出雲地方の四隅突出型の方墳(西谷墳墓群)に似ていると思いましたが、
この突起は、水鳥のクチバシとシッポを、そして「シマ」全体として水鳥を表しているように見えます。
ちなみに津堂城山古墳の島状遺構には、巣山古墳のようなクチバシとシッポはありません。
島状遺構はクニが広がるイメージ
さて、巣山古墳でも津堂城山古墳でも、古墳の周濠に「シマ」を造り、何を祈ったのでしょうか。
「シマ」の先端突出部に水鳥、中央一段上に宮殿(囲形・家形)と王城を囲む柵、つまり「クニ」の様子を描いているように思います。
記紀の記録や伝承などから考えて、水鳥埴輪は「クニ」づくりの 水先案内、「クニ」の水辺を守る 水軍 を形象していると考えることができます。
前回紹介したように、巣山古墳の外周・北東角からは準構造船も出土しており、水鳥形埴輪で形象されるのは、かつて大和と摂津河内を繋ぐ大和川の広大な水域・水路を支配した水鳥の一族、海人集団 である可能性が高まります。
サイズの異なる3体セットは、夫婦・親子関係を象徴し、海人集団の末永い子孫繁栄を祈った祭祀物であったと考えます。
島状遺構のすぐそばに「∞」ヒョウタン形の石積が表現されています。
位置的に、沖合?天空?の「∞」形が何を表しているのか、皆さんも古代妄想してみてください😀👍
今城塚古墳の埴輪祭祀場の原型
パネル写真で埴輪の配置を見ていて、真の継体天皇陵と云われる今城塚古墳(大阪府高槻市、6世紀)の埴輪祭祀場に似ているとも思いました。
似ているというよりも、今城塚古墳の埴輪祭祀場の原型と考えてもよいかと思います。
もう一回続きます(あらためて準構造船について)