はじめに
大粒の縄文ダイズ・アズキ、三内丸山のクリ栽培など。縄文集落には #ドメスティケーション(#飼い慣らし)が定着していました。イノシシは飼い慣らしでブタ化するといいます。縄文から約千年後、礼文島の #オホーツク文化 遺跡出土のブタの骨。北大でDNA分析中。国産だったら面白いですね
目次
本文
前回のテーマ「ドメスティケーション」。
日本語では、植物の「栽培化」および、動物の「家畜化」、動植物あわせて「飼い慣らし」という意味になります。
『狩猟・採集』よりも進んだ『家畜・栽培』に近づいたスタイルというのが適当でしょうか。
津軽・イノシシデザインの土器・土製品
さて、イノシシ。縄文の人々の大切な食糧でした。
食べられた後の骨はもちろん、津軽地方の縄文遺跡からはイノシシをデザインした土器や土製品も出土しています。
左は、先日紹介した森田歴史民俗資料館に展示されている石神遺跡(縄文中期、青森県つがる市森田)出土の円筒土器の口縁部、
右は、十腰内遺跡(縄文後期、とこしない、青森県弘前市十腰内)出土の土製品。
弘前市の、十腰内遺跡・猪型土製品を紹介するページには「縄文時代後期から晩期にかけて、猪形土製品は北海道から関東まで散見されるものだが、本品は、それらの中にあって、群を抜く大きさで写実性に富み、美術性にも優れている」と紹介されているとおり、イノシシデザインの土製品は北海道・東北・関東に見られる様式なんですね。
ほんとうに『デフォルメ表現』の縄文らしくない、こういう個体が理想・造りなさい、みたいな学習サンプルのような写実性です。
イノシシか?ブタか?
津軽の縄文遺跡から出土した土器や土製品が、ほんとうにイノシシなのかどうかが気になるところです。
正確に言うと、どの程度イノシシ(あるいは、どの程度ブタ)なのか、ということです。
詳しくは下記のリンク先をご覧いただくとして、要約すると「イノシシはもともと家畜化しやすい性格、移動性に乏しい動物なので、たとえば、柵で囲うなどして飼っているとブタになる」ということ。
真脇遺跡(石川県能登町)の場合、四千年間も人が生活していたわけですから、それだけの時間があれば、誰かがイノシシを飼い始めてブタ化するのは、それほど難しくないように思います。
十腰内の土製品は、牙がなくてシッポが短くピョンと立っていて(100%の)イノシシには見えません。たとえば、ブタの貯金箱と言われたら、普通にリアルなブタと思い込んでしまいそうです。
土器に至っては鼻の穴しかないですから、イノシシかブタかすらわかりません。(が、学術的には思い切ったことは言えませんから、イノシシなのでしょう)
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なお、ブタが人の飼育を離れて野生化すると、自然にイノシシに戻ってゆくそうです。
面白いですね。ドメスティケーション。
津軽縄文を代表する円筒土器には古い下層式と、それよりも新しい上層式があるのですが、円筒土器文化圏という見方では、北海道北端の礼文島(れぶんとう、上泊遺跡)と、能登半島の真脇遺跡は(縄文中期以降)海の交易路でつながっていました。
マップの領域が重なる中心が津軽と道南の渡島地方です。
礼文島の浜中遺跡(オホーツク文化期)から出土したブタの骨(11頭分)は明らかに島外から持ち込まれたものだそうで、北海道大学ではその起源について調査中(DNA分析)だそうです。
さて、ブタの起源は定説とされる大陸、または、北方・中央アジアでしょうか。それとも・・・
オホーツク文化期は、本州の古墳時代以降ですから、円筒土器文化の縄文から約千年が経っています。それだけに、もしかして、津軽や能登半島の円筒土器文化圏の時代からドメスティケーションされたイノシシがブタ化して、礼文島で飼われていた可能性はないのでしょうか。
であれば、北の日本海の縄文~続縄文文化は、トータルとして、長い交易文化と経験豊かな飼育技術を持っていたことになります。