はじめに
東日本各地に縄文の #石棒 の出土に由来すると考えられるコンセイ地名や史跡名。それらを探すうちに見かけたのが #金生遺跡。八ヶ岳や南アルプスを見晴るかす遺跡公園の入口にデカい石棒のモニュメント #中空土偶 #配石遺構 #注口土器
目次
本文
コンセイサマを追いかけて…
(35.84846033728485, 138.3849841543796)/山梨県北杜市大泉町谷戸105/小さな駐車スペースあり
東日本の各地には、縄文の石棒(いしぼう、男性陽物の形象物)の出土(おそらく中世~近世)に由来する コンセイ(金精、金勢…) などの地名や神社名(史跡名)が残されているんじゃないかと調べていて、
そんな流れで見かけたのが山梨県の 金生遺跡(きんせいいせき)。
ググッてみると、入口にデカい石棒(モニュメント)がデンと立てられており、ぜひ訪れてみたい縄文遺跡のひとつでした。
北の八ヶ岳から続くなだらかで広大な傾斜地(大泉高原)の中、標高760~780メートルに位置し、南約500メートルあたりを中央自動車道が通ります。
石棒のほか、土偶、石剣、独鈷石(どっこいし)、また動物遺体(クマ、イノシシ、シカ)など、祭祀に使用されたと推定される遺物が多数、さらに土製耳飾(みみかざり、破片を含めて500点以上)などの装身具なども出土している国指定の縄文遺跡(後期~晩期、3500~2600年前)です。
金生遺跡を特徴づけるのが、大規模な配石(はいせき)遺構(ストーンサークル?)で、縄文後期~晩期の祈り(祭祀)の場があるムラの跡と考えられています。
1枚目の背景は南アルプス(甲斐駒ヶ岳など)。2枚目の背景は北の八ヶ岳。
遺跡内に配石遺構は複数ありますが、たとえば写真の遺構の中央あたりに石棒が建てられていますね。
金生遺跡の隅に小屋。
中に縄文晩期終末(2300年前)の祭祀遺構の説明板がありました。
一部文字起こし)この時期になると西日本ではすでに米作りが行われていますが、金生遺跡では、縄文時代の文化が引き継がれています(配石・石棒・土偶…)これは発掘調査された時の姿で復元展示したものです
たまたま山梨県立美術館で開催中だった縄文展(2022.9.10~11.6)に、金生遺跡の祭祀遺構から出土した中空土偶が展示されていました。
(通常は北杜市考古資料館に常設展示。山梨県立美術館に出張展示中)
この異様なカタチとデザイン。縄文の人たちの感性をじっくりご覧ください(亀ヶ岡のシャコちゃんと類型的に近いと考える考古学者もいます)
縄文の注口土器を見るときは、必ず注ぎ口の根元を見ることにしています。
100%という訳ではないですが、結構な確率で(さりげなく小さな)タマタマ が付いています。
黒くて見にくいですが、金生遺跡の注口土器の注ぎ口の根元にもタマタマがついてるようですね。
えっ!?なんでタマタマかって?そりゃ…タマタマ😅