はじめに
山口集落に行く道を間違って入り込んだのが遠野土淵の #栃内(とちない)地区。道草は面白いものですね。目の前に広がる景色は遠野の原景でした。#コンセイサマ #野中の小祠 #山神 #物見山
目次
本文
遠野土淵 栃内(とちない)
おおよその撮影ポイント(39.367382069349084, 141.60299743017717)
先日紹介した火石の石碑群から東(大槌街道)に行くと山口集落やデンデラ野に向かうのですが、実は道路のカーブの感覚を錯覚し、北の方角(小国街道)に進んでしまいました。
間違いに気がついて、すぐに引き返そうとしたのですが、目の前に広がる遠野の田園風景の中に、おやっ!?とするものが目に入り道草。後日、地図で調べると土淵町栃内という地区です。
遠野土淵 栃内 野中の碑
写真の左の方、野原の中に碑のようなものが建っています。
近づいてゆくと。。。先っぽがやや特徴的な。。。遠野の神社めぐりで何度か出逢った コンセイサマ(金精様) にも見えます。コンセイサマとは男性の陽物を形象化したもので、神社によっては御神体(石造)であったり、奉納物(木造)であったりします。
【1106 和野のコンセイサマ追記】
先日、今夏に遠野市立博物館で開催されていた特別展(遠野物語と遠野の縄文文化)の目録を読んでいて、この石碑が『和野のコンセイサマ』であることを確認しました。
目録写真の台上の付属物ですが、私が撮影した写真で見ると、台左側の草むらの中に落ちているのが写っています。
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ザシキワラシの孫左衛門の家(山口集落(1))もそうですが、昔栄えた家の跡に、塚(墓)が盛られたりするのが遠野の風習ですから、ここもそうであったのかも知れません。あるいはここに小祠があったのかも知れません。なにぶん、朝が早く、稲刈りも終わった後で周囲に聞く人もいませんでした。
なお、後ろは南西方向の物見山(真ん中が大物見山、少し左に見えるのが小物見山、連山)。
土淵町栃内 野中の塚と見張りをする?にゃんこ
栃内のこのあたりは、観光地化していませんので案内もないですが、妄想をくすぐる景色が他にもありました。
道路から原っぱを進んでゆくと、白いものが。。。にゃんこでした。背伸びをしてこちらの様子を物見しています。(´▽`)
ここの他にもうひとつ、野中の塚らしきもの。同じく背景は物見山。
土淵町栃内 ここにも野中の小祠
遠野では、野中、というよりは農地の中に小祠を祀る風習があり、荒神神社(遠野市青笹町青笹町中沢)がたいへん有名ですが、ここも同様の信仰のカタチでしょう。
赤い鳥居でお稲荷さんでしょうか。あるいはその根源となったとも考えられる古い 山の神 の信仰のスガタでしょうか。