はじめに
遠野 #山崎のコンセイサマ(#金勢神社)参道や境内に一対の #陰陽石 複数。本殿に工事現場で発見された高さ1.5mの御神体。さらに大きなものが見つかれば代えられるそう。#遠野物語 には #オコマサマ と似ていると書かれています(20211019参拝)
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本文
(39.37798470434386, 141.59322879286546)/岩手県遠野市土淵町栃内16地割/地域の集会場的な山崎金勢茶屋に駐車場(39.37723383589023, 141.59763677376554)から徒歩約10分
御祭神(御神体):金精様
案内板)コンセイサマは、金勢様又は金精様と書きます。子宝を願う婦女子が、ここに奉納されている赤い小枕を一つ借りてきて腰元に置き、願いが叶えられれば二つにしてお返しするなわらしです。御神体は、男性の象徴を現し、すべての物事を神に結びつけた民間信仰に由来するもので、これは 駒形信仰とも混同されるようになりましたが、本来は生産の神として信仰されたもののようです。(『遠野物語』第十六話参照)遠野市
案内板は手水舎に掲げられていますがその横に大きな陽石。山崎のコンセイサマ です。高さが平均身長ぐらいあり、思っていたよりも巨大でした。
金勢神社
コンセイサマは本来、遠野の家族ごとに祀られた、子宝・腰痛・豊作を御神徳とする神様とされています。
私の感覚的には、(縄文以来の)男女一対・アラハバキ信仰(子宝)、道祖信仰(下半身から下、足腰の病、サイノカミ信仰)、豊作(山の神・稲荷信仰)、さらに駒形信仰(馬頭→男根)が、混然一体化したのがコンセイサマの信仰であるように思います。
【遠野物語 第16話)コンセサマを祭れる家も少なからず。この神の神体はオコマサマ(*開物注・駒形信仰)とよく似たり。オコマサマの社は里に多くあり。石または木にて男の物を作りて捧(ささぐ)るなり。今はおいおいとその事少なくなれり
先日紹介した二つの駒形神社(元駒形神社、荒川駒形神社)の御本殿に置かれていたコンセイサマは、オコマサマということになるでしょうか。また和野のコンセイサマ(かつて邸があった野中に建っているもの)は遠野の家族ごとに祀られていたものと思われます(各記事末にリンク)
明治初期の神仏分離の時代、天皇制の護持に有用でない古い信仰の多く(修験道も含む)は邪教とされ、仏教とともに神社から分離され廃絶することも多かったのですが、第16話に『今はおいおいとその事少なくなれり』と書かれているのは、そういった事情を反映しているのでしょう。
御本殿のコンセイサマは昭和47年に砂防工事現場で発見されたもの。観光案内サイトには「大きなサイズほど大きな御神徳」という考え方で「さらに立派なものが発見されれば、代わってここに鎮座することになる」そうです。
縄文石棒(陽石)も巨大化した歴史があるのですが、理由は同じかも知れませんね(弥生の銅鐸、どうたくも)
山崎のコンセイサマ(金勢神社)境内
今は使われていない雲梯(うんてい)。参道沿いに廃バスも。