ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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縄文時代から弥生時代への過渡期【縄文と出雲】文化の融合

はじめに

日本の謎の古代史を考える時、縄文時代から弥生時代への過渡期を知っておくことは大きなポイント。水田稲作の開始が弥生の始まりの定義ですが、西から東(南から北)へ列島各地、トータルで数百年以上の差があります #シャコちゃんには弥生時代の香り

目次

本文

縄文時代弥生時代の過渡期。←ココ押さえておきましょう( ´艸`)

列島に稲作が伝来した時期が縄文時代弥生時代の分かれ目になりますが、

北海道を除く列島全体に水田稲作が普及した紀元前300年が、一般的に弥生時代の開始とされています。

(寒冷な北海道には稲作が普及しなかったため、本州以南の弥生時代に相当するのが続縄文時代

稲作伝来3ルート説(近年のイネの遺伝子研究等から南方ルートが可能性が高いとされています)

ただし列島内では、北九州から日本海沿岸を北に、そして太平洋側(南)に向かって約800年をかけて伝播した(起源前1000年開始基準/国立歴史民俗博物館)ので、エリアによって弥生時代の開始が異なっており、下図のような、ヤヤコシイ時代区分になります。

2002年、国立歴史民俗博物館が行った弥生土器に付着した炭化物の測定結果*1により、最古のコメが紀元前1000年のものだったことから、弥生時代の開始を、従来よりも700年早める新説(九州北部)を提唱したことで、現在、弥生区分が二通りあることをあらわしています。

縄文~弥生時代の画期(Wikiより。開物が「菜畑遺跡」時期、シャコちゃんや中空土偶の時期を書き込み)

北部九州で、紀元前1000年から、菜畑遺跡(紀元前600-700)などの水田稲作が定着。

水田稲作は列島各地に伝播*2

水田遺構を伴った主な弥生遺跡

シャコちゃん(遮光器土偶青森県つがる市亀ヶ岡)や、中空土偶(金生遺跡、山梨県北杜市)は、ちょうどその頃、縄文から弥生への過渡期の時代に造られたもの。

実はシャコちゃんには弥生の香りもするのです

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縄文と出雲文化の融合

じゃあ、出雲神話を生んだ出雲文化はどの時代?というと、縄文から弥生への過渡期、その後に続く弥生時代になります。

国土開発のオオクニヌシ生活向上(和薬や服飾など)のスクナヒコ を代表とする出雲の神々はこの間に生まれました。

この観点から、出雲のクニづくり(都市国家群)=弥生の水田稲作の伝播 という古代史の解がシンプルに導き出されます。

(この観点は、古墳時代物部氏前方後円墳の造営を通じて、全国に勢力を広げ、いわゆる古墳時代を築いたのと同じロジック。弥生時代が日本列島の文化統一の波の第一波(都市国家群づくり)なら、古墳時代は第二波(統一国家づくり)にあたります。)

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大陸より渡来した稲作を、国土に合わせて効率よく収穫できるようにした工夫*3と国造りの計画性をもって、列島平野部に水田方式を浸透させた主役は 出雲国(王家) だったということです。

現代の日本の大都市となっている沿岸平野部(沖積平野)というのは 弥生の海退 という地球規模のできごと(寒冷化による海水面の低下)によって、かつての浅海が、川が運ぶ土砂の堆積と相まって陸地(入江→汽水域の潟→扇状地→低湿地)になった場所で、

出雲族はそこで稲作を奨め、クニづくりの基盤を置き、列島各地に広めました。

この弥生出雲文化の浸透においては、弥生晩期(倭国大乱)や古墳時代のような武力闘争の遺物や伝承はほとんどなく*4縄文人出雲族は、おおむね平和的に融合したと考えるのが自然です。

縄文の人々にとって水田稲作は安定した食糧調達の福音であり、

一方、出雲族にとって縄文の人たちの渡海を含めた超人的な移動(輸送)能力と筋肉労働力(木造り、大岩の運搬、溝くいなど)はクニづくりと交易の基礎となる、

今でいうところの WIN-WINの文化融合 であったと考えられます。

(次回に続く)

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弥生基準で見た時のシャコちゃんと中空土偶の時代(いずれも縄文晩期)

*1:放射性炭素年代測定

*2:「2002年、弥生時代のはじまりを紀元前10世紀ごろであると発表したのは、国立歴史民俗博物館(以下、歴博)です。歴博は最新のAMS−炭素14年代法などによって測定した結果、九州北部の弥生時代遺跡から出土した、土器に付着する炭化物(コメのおこげ)や木杭は、紀元前900~800年のものであり、紀元前10世紀後半に九州北部で本格的にはじまった水田稲作が、約800年かかって日本列島を東漸したとの説を展開しました。★水田稲作が九州北部から各地に広がるのに要した年月は、例えば瀬戸内海西部地域までで約200年、摂津・河内までで300年、奈良盆地(唐古・鍵、開物追記)までで400年、中部地方には500年、南関東には600~700年、東北北部には500年であると推定される」https://www.teikokushoin.co.jp/faq/detail/938/#:~:text=%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%80%81%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D,%E5%B9%B4%E9%96%93%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%82%89%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

*3:弥生の海退であらわれつつあった平野部の低湿地「葦原の中つ国」の環境に合うように稲作技術を進化させた

*4:伝承に関して、私が調べる限り、タケミナカタの諏訪入り…出雲のタケミナカタと、先住、つまり縄文のモレヤ族の争いぐらい