ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【シャコちゃん進化論】縄文から弥生への変化・考

はじめに

本州最北・東北最古の弥生式水田遺構 #砂沢遺跡*1 の #土偶。同じ津軽・亀ヶ岡 #シャコちゃん(遮光器土偶、縄文晩期)からの変化を考えてみました #井戸尻考古館

目次

本文

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結髪形、刺突文、そしてパンツ

縄文晩期(狩猟採集&縄文農耕)から弥生前期(稲作)への過渡期。

津軽(そして青森県)の土偶で、シャコちゃん(遮光器土偶)からの変化を考えてみました。

土偶神像(精霊像)であるならば、その様式の変化に、当時の人たちの信仰の変化が現れ、そのカギが見えてくるはずです。

(出土地を亀ヶ岡の津軽周辺、青森県に絞って考察。上段が縄文晩期、下段が弥生早期)

【縄文から弥生への過渡期。土偶の変化(津軽青森)】結髪形、刺突文、そしてパンツ

いろいろ調べて見えてきたのが「頭部の結髪形 けっぱつがた」、「ボディの刺突文 しとつもん・さしとつもん」そして「パンツ」。

頭部の結髪形とボディの刺突文が特徴の砂沢遺跡(岩木山麓)土偶

ボディの刺突文 しとつもん・さしとつもん

ボディに多数の孔…これは何を意味するのでしょうか。

「本州最北・東北最古の弥生式水田遺構 砂沢遺跡」の土偶であることがポイントであると考えます。

今のような苗植え以前の話、泥の水田に木の枝などで突いた孔(あな)ひとつひとつに、貴重なイネの種籾を植えていった様子が想像できます。

ボディの刺突文は、種籾を植える水田の孔であり、つまり、秋の収穫(豊穣)を祈ったこん跡、

土偶のボディはコメの生まれ出ずる 大地 と解釈することができます。

実は、この考察、偶然にも津軽の後に訪問した諏訪の井戸尻考古館(長野県富士見町)の 多凹石 の解説がヒントになりました(ゆえにいつもの妄想ではありません😀)

井戸尻考古館 多凹石(縄文中期)の解説と展示

時代も場所も遠く離れていますが、津軽の弥生早期にあらわれた刺突文から考えてみると、縄文中期に諏訪で原初的な農耕が行われていたという「縄文農耕論(藤森栄一氏、井戸尻考古館)」にたどり着いてゆきます。

シャコちゃんの麁服(あらふく)

以前(アラハバキ解 最終回)、シャコちゃんはシャケ皮の 麁服(あらふく)*2を着ているのではないかと妄想したことがあります。

シャケが海に出て故郷の川に回帰してくるところに 道祖神(サイノカミ)的な信仰 の原景がうかがえます。

アイヌの魚皮衣(釧路市立博物館所蔵)

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パンツ土偶と鬼コ

着衣には変わりありませんが、それが、パンツ(ブリーフ)に変化しています。

頭部の結髪形とパンツが特徴の大曲遺跡(岩木山麓)土偶

昨秋の津軽訪問では、岩木山麓の鎮守の 鬼コ を見学してまわりましたが、鬼コのパンツの底流には、はるか古い時代からの記憶があるように思います。

そもそもパンツが何を表しているのか…フンドシ・マワシが思い当たるくらいで、よくわかりません😅

頭部の結髪形もあわせて パンツ土偶 が鬼コに変化したかどうかは皆さんの想像にお任せです😀

(当ブログの検索窓「鬼コ」で検索)

津軽の鬼コ

津軽の鬼コ

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*1:出土した土器は「砂沢式」として東北地方・北海道南部に広範(100ヶ所以上)に見られる土器様式の標識(基準)となっています。つまりそれは砂沢遺跡が東北の弥生稲作文化の根源であることを意味しています

*2:魚のアラ(麁)、麁衣(あらたえ)から造られる服