ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【内真部 大山祇神社 奥宮】青森ヒバの森に鎮座する山神様【ヒノキアスナロの樹】

はじめに

ふと出逢った鳥居をくぐり、後で調べて色々知ることも旅の楽しみ。青森市から県道2号線を走って #内真部(うちまんべ)の赤白の鳥居。そばに #大山祇神社奥宮 の案内板。社を囲む青々とした針葉樹は #青森ヒバ #ヒノキアスナロ。古くから建築や漆器などに利用されてきたそうです

目次

本文

青森ヒバ(ヒノキアスナロ)のこと

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ヒバの葉(AC)

何年も前のことですが、大阪市内にあった青森県事務所の産品コーナーで「青森ヒバ」の精油を衝動買いしたことがあります。

ウッディといった穏やかなものではなく、強烈なヒノキの香り(ヒノキチオール)で、虫除けにいいや、と買いました。

農水省の記事には「青森ヒバを食べたシロアリが死滅する」と書いてあります。

青森ヒバはヒノキの仲間の「ヒノキアスナロ」という種類で、特に青森県内に生育しているものは「青森ヒバ」として県の木に指定されています。

ノキアスナロは、北海道の北海道渡島半島を北限、栃木県日光湯ノ湖付近を南限に分布していて、青森県では下北半島津軽半島に集中し、植物学的には北方系のヒバとして、南方系のヒバ「アスナロ」と区別されるそうです。

「アテ(貴)」といわれ石川県の県木に指定され輪島塗漆器の木地に使用されているほか、平泉(岩手県)の「中尊寺金色堂」はヒノキアスナロで建てられているため、一千年変わらぬ美しい姿を残しているといいます。

www.rinya.maff.go.jp

青森ヒバの森 内真部・大山祇神社 奥宮

(グーグル地図に記載されていないため経度緯度:40°54'26.0"N 140°36'54.2"E)

青森市内から青森県道2号線(屏風山内真部線)を通って、津軽平野の北に向かいましたが、途中から山道に入った県道沿いに赤白の鳥居を見かけました(10月13日参拝)

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内真部(うちまんべ)大山祇神社

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内真部(うちまんべ)大山祇神社

鳥居そばの案内板には『津軽藩政のころ、ここに山守の番所があって、彼らが守護神として山の神(大山祇神、おおやまづみのかみ)を祀ったのが始まり』と書かれています(沿革の文字起こしは記事末)

津軽藩はヒノキアスナロを貴重な資源として管理していたのでしょうね。県道の山道の入り口、平地の内真部町に遥拝所(里宮)があるため、ここが「奥宮」と云われているそうです。

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内真部(うちまんべ)大山祇神社 石段両脇の青森ヒバの巨樹

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内真部(うちまんべ)大山祇神社 素木の鳥居 本殿と青森ヒバの森

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内真部(うちまんべ)大山祇神社 本殿

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内真部(うちまんべ)大山祇神社 本殿内

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内真部(うちまんべ)大山祇神社 青森ヒバの森

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内真部(うちまんべ)大山祇神社 樹の向こうに内真部川のせせらぎ

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内真部(うちまんべ)大山祇神社 一の鳥居(県道2号線)

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大山祇神社奥宮の沿革(文字起こし)

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内真部 大山祇神社奥宮の沿革

当社は津軽藩政の頃、山守の番所があった所で、山守達がその守護神として当社を建立し、山神を奉祀、信仰したのがその始まりである。この裏方に沢があって番所家戸と称せられているのは、これに因んだものである。廃藩後、明治政府により官、民、有林が設定され当所は内真部部落の見継山として経営されるようになり、おやしろは部落民の山神として信仰されるようになった。由来毎年四月十二日を祭日として、山下内真部町内に於て盛大な祭典が執り行われてきたが、大正の初期見継山は社地として分割払下げを受けて今日に到ったものである。 因みに日本三大美林の一つであるヒバ林で有名な眺望山はこれより先、130mの所にその入り口があり、畏くも梨本宮高松宮並に秩父宮両殿下の御光来を賜れり、その頂上にはお手植のヒバ紀念樹が美事に育ち、今にその栄光を伝えている。社前の老木は厳然として山神の鎮座に相ふさわしく神神しさに自ら心身の清まるのを覚えるものがある。

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