はじめに
ここ最近、摂津・河内平野を東西に通る #住吉大社ライン #四天王寺ライン 二本の #太陽の道 を紹介しました。歴史的には #住吉大社 が古墳時代中期、#四天王寺 が飛鳥時代初頭の創建(建立)二本のラインを辿ってゆくと #明石海峡
目次
本文
摂津・河内平野 二本の太陽の道
【摂津・河内平野の太陽の道① 住吉大社ライン】
住吉大社(第一~第三本宮)~天照大神高座神社~信貴山(山頂)はほぼ同緯度で、東西につながります。
【摂津・河内平野の太陽の道② 四天王寺ライン】
精密な緯度としてはズレますが、四天王寺は東の日が昇る生駒の大鳥(天照山)を意識して建立されています。
歴史的には、住吉大社が古墳時代中期、四天王寺が古墳時代晩期~飛鳥時代初頭の創建(建立)。
大阪城から生駒の大鳥(天照山)
生駒は、最標高の生駒山でも642メートルの低山系で、高層建築が多くなった大阪市内から見ることは少なくなりました。
生駒の大鳥(天照山、標高500メートル台)に至っては、平地では大阪城エリアから、かろうじて見えるぐらいです。
こういう景色を見ると、秀吉公「も」生駒の大鳥を意識して大阪城を築城したのだろうと思います。
実際、秀吉公は生駒の大鳥の麓の瓢箪山稲荷神社をたいへん崇敬しました(ふくべ稲荷。千成瓢箪の仕上げ)
二本の【太陽の道】が指すところ
ここからは得意の古代妄想(笑)。
さて、二本の太陽の道が指す方向には。。。
これは単なる偶然の一致でしょうか。(次回に続く)