古墳時代に続く #飛鳥時代。事実上 #聖徳太子 の誕生によって生まれた新時代。斑鳩、白鳳、朱鳥…数々の神鳥が生まれた時代でもありましたが、どうして「あすか」と呼ばれたのでしょうか。誕生現場からの報告です😀
目次
本文
飛鳥を「あすか」と呼ぶ理由
万葉集では「明日香」にかかる枕詞が「飛ぶ鳥」であることから、
「飛鳥」が「あすか」と呼ばれるようになった説が最有力。
飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去(い)なば 君があたりは 見えずかもあらむ
巻1-78、作者不詳*1
『明日香の都を離れ(平城の都に行っ)てしまったら、貴方が住んでいたあたりはもう見えないのね』
明日香から眺める飛鳥
ではなぜ、万葉の歌人は、明日香を「飛ぶ鳥」で表現したのでしょうか?
先日紹介した橘寺(奈良県明日香村)から西に徒歩数分、柿本人麻呂歌碑からの景色です。
東南の三輪山を頭に、向かって左の翼を龍王山、右の翼を巻向山とした、今にも飛び立とうとする大鳥の姿が見えます。
三輪の大鳥 と呼びましょうか。
歌碑の横に、この大鳥のこと、人麻呂が愛する妻を亡くした際に詠った「大鳥の羽易の山」が刻まれています。
もうひとつ…同じく歌碑から西の葛城山と金剛山が接するところ…私が 葛城の大鳥 と呼ぶ景色。
橘寺近くからは 二羽の大鳥…飛鳥 を見ることができます。
なお、以前紹介しましたが、藤原京(醍醐池、藤原京資料館)から畝傍山(うねびやま)を頭にして葛城の大鳥を眺めると一羽の大鳥が現れます。
先日コスモス見学の際に、藤原京の醍醐池から撮影。
飛鳥とともに誕生した聖徳太子
今年四月に岡寺を訪問した時に撮影した写真。
お気づきでしょうか?
正面の葛城の大鳥の手前の、こんもりしたお山。
あれが、聖徳太子が誕生した橘寺の仏頭山です。
今回、あらためて明日香を訪問した理由は、岡寺の下の参道を下って行きたかったからです。
どんな景色がみえるでしょうか?
ではご覧ください。
仏頭山の名らしく、お釈迦様の頭のカタチを葛城の大鳥に重ね合わせると、また一羽…そうですね…飛鳥の大鳥 が現れました。
古墳時代の政治・経済・軍事…すべての面で支配した物部氏が聖徳太子に滅ぼされ(丁未の乱)、飛鳥時代が始まります。
その太子が生まれた所が、まさに飛び立つ鳥の地・飛鳥だったんですね。
太子には白鷹伝説が残されていますが、太子自身が飛鳥であったのかも。
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そして太子が国家の威信をかけて建立した摂津の四天王寺は、
飛鳥(生駒の大鳥)に見守られた上町半島(当時、現在は上町台地)に創建されました。