ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【星田妙見宮(小松神社)(4)】妙見信仰と北斗七星剣の伝来【二人の太子の出会い】

はじめに

大阪府交野市 #星田妙見宮 が伝える #妙見信仰 の伝来。#聖徳太子百済の王子 #琳聖太子 の交流と、#四天王寺 #北斗七星剣 の由来譚でもあります。社務所で頒布いただいた資料も参考にまとめ

目次

本文

本記事では「星田妙見宮の信仰と太上神仙鎮宅七十二霊符」も参考にしました(社務所で頒布)

妙見信仰の伝来(最初の伝来地)には二説があるそうで、ここでは周防の国(現・山口県下松市、古くは青柳の浦)鷲頭寺(わしずでら)の縁起に基づく紹介になります(もう一説は肥後の国(現・熊本県八代市))

妙見信仰の伝来(星田妙見宮)

かつて 青柳の浦 と云われた松の樹(現在の山口県下松市。妙見宮鷲頭寺)に大きな星が降(くだ)り七日七夜、満月のように光明を放ち人々はおおいに驚いた(推古二年)。

『今より三年後の三月二日に百済琳聖太子(りんしょうたいし)がこの国にくる。聖徳太子に告げて琳聖太子をこの国に留めるべし』という坐人*1(ざひと)のご託宣があった。

一方、百済(くだら)の璋明王(しょうみょうおう)の第三子・琳聖太子*2(北辰信仰の人)は『東海に日本という国あり。皇子を聖徳太子という。生身の観世音菩薩の化身である』という夢枕の老翁(北辰)の予言により、日本に行くことを決意。

琳聖太子は、百司百官をともなって推古五年三月二日、鞠生の浜*3(多々良浜)に着船し、聖徳太子の勅使・秦河勝(はたのかわかつ)に迎えられる。

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妙見信仰の伝来(1)(星田妙見宮)

始まりの大星降臨の地・青柳の浦に逗留し九月の祭事(北辰星供、ほくしんほしく)までに宮を立てるように指示した後、琳聖太子秦河勝とともに大和に旅立ち、推古五年四月 難波の宮聖徳太子と会見。

百済国より持参した 北斗七星剣 を捧げた(時に聖徳太子24才*4琳聖太子26才)

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七星剣(四天王寺所蔵)現在は東京国立博物館に寄託 写真はWiki

琳聖太子聖徳太子を『十一面観世音菩薩』の生まれ変わり、聖徳太子琳聖太子を『千手観音菩薩』の生まれ変わりと互いに称し、信仰のこと、政治のことなどを終わることなく語り合った。

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妙見信仰の伝来(2)(星田妙見宮)

聖徳太子は、生玉の宮(生玉神社*5)を琳聖太子の宮殿とし、九月までの間に、四天王寺飛鳥寺などを参拝した後、青柳の浦の宮にいったん帰還した。

琳聖太子は完成した宮殿で、百済から持参した北辰尊星の御神体を納め、日本で初の北辰星供(ほくしんほしく)を斎行した。(後の785年、桓武天皇は交野が原に延久の祭壇を設け北辰祭祀による我が国初めての天神の祭りをおこなう。)

琳聖太子はふたたび難波の聖徳太子のもとに行き、生玉の宮を住居と定め、宮に妙見をお祀りし、聖徳太子の国の基礎固めの仕事を助言*6した。

琳聖太子とともに伝来したのが、太上神仙鎮宅七十二霊符とされている。鎮宅霊符神は妙見菩薩と同体とされ、妙見菩薩の御神獣が玄武(蛇を絡んだ亀) 。鎮宅霊符神も玄武が傍らにお使いとして描かれる。

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四天王寺・七星剣に少しだけ触れた過去記事

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アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(全54話完結)

【2020年12月~2021年5月、連載】

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*1:巫、かんなぎ

*2:百済の第26代聖明王の第3王子で武寧王の孫とされる。聖徳太子から多々良姓とともに領地として大内県(おおうちあがた)を賜ったとされる。大内氏の祖

*3:現在の山口県防府市多々良。毛利氏庭園のあるあたりか

*4:四天王寺創建年は593年、聖徳太子19才

*5:現在地・大阪市天王寺区生玉の前は大阪城域にあった。難波の宮の近く

*6:百済新羅・中国で発達した冠位制度を進言、日本には神儒仏の調和が必要であることを説いた。冠位十二階・憲法十七条制定の過程で妙見信仰があったというのが星田妙見宮資料の見解。神儒仏=神道儒教・仏教