はじめに
妙見山の山頂の #磐座。おそらく#北辰信仰 #妙見信仰 とともに織女石(たなばたいし)と称されるように。#陰陽道 の最高神 #太上神仙鎮宅霊符神も祀ります 日本では神道の #天之御中主神 仏教の #妙見菩薩 と習合しました #天の川の羽衣伝説
目次
本文
星田妙見宮の三回目。
星田妙見宮 本殿と磐座(織女石、たなばたいし)
【左の写真】社務所付近から拝殿。【右の写真】下に社務所。天気の良い日ならこの方向に大阪平野が見えるはず。
最古はここで磐座(イワクラ)祭祀が行われており『隕石落下(八丁三所)-弘法大師譚』を契機とした妙見信仰が、古代からの交野ケ原のニギハヤヒ伝承と習合して、天野川の羽衣伝説(記事末)になったと推理されます。
大岩は『織女石、はたおりいし』と呼ばれてきました。
太上神仙鎮宅霊符神
霊符の中央に陰陽道の最高神とされる太上神仙鎮宅霊符神(だじょうしんせんちんたくれいふしん)。
妙見信仰(北辰信仰-聖徳太子譚が契機。あらためて紹介)に、後に陰陽道(おんみょうどう)が重なり習合した信仰の御神影です。
中国(道教・神仙思想)では北極星のある北の空の一点『玄天』とそれを守護する『玄武』を人格化した『玄天上帝』とされますが、日本では神道の天之御中主神(アメノミナカノヌシ)や仏教の妙見菩薩と習合しました。
拝殿前の屋根につけられた方位盤。針の指す左上、北の方位は京都方面になります。
天の川の羽衣伝説
今風に言うなら中国の『七夕』にインスパイアされて、日本神話とミックスしたファンタジーストーリーといったところでしょうか。時代順に考えると『天の羽衣』や『鶴の恩返し』の原典になったのかも知れませんね。
むかし交野ケ原に七つの星が天女になって降りてきて、天の川で水浴びをしているのを見た少年は、美しい天女の羽衣を隠してしまいます。天に帰れなくなった天女は、その少年との間に一人の子どもをもうけ、せっせと機織りをして育てました。三年が過ぎたある日、天女は天に帰りました。やがて少年も年老いて天に昇り、今でも年に一度、七月七日に天の川を挟んで逢うといいます。成人した天女の子どもこそが、肩野物部の祖・ニギハヤヒ だったのかも知れません。(天の川の羽衣伝説は、平安時代の『曽丹集』にも書かれています)
(星田妙見宮から天野川を挟んだ対岸の等距離のところに、天で牽牛(けんぎゅう)が田を耕したという天田の宮(天田神社)が対応するように鎮座)
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(全54話完結)
【2020年12月~2021年5月、連載】