ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【ナガスネヒコは出雲の首長】司馬遼太郎さんが書いた竹ノ内伝承【葛城と国栖の強い結びつき】

はじめに

司馬遼太郎さんが子ども時代を過ごした竹ノ内(奈良県葛城市竹内)伝承の続き。昭和35年のショートエッセイより。長髄彦出雲族の首長。葛城と国栖の血縁関係。驚きの内容 #国譲り #出雲後物部

目次

本文

前回記事。

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今回は初期のエッセイの「穴居人」*1を参考にしました(昭和35年、1960年)

新人作家の当時37才、大阪市内西区のマンモスアパート十階の二部屋の、ご本人いわく、穴ぐらのような狭い家に棲んでいて、まるで吉野の国栖人(くずびと)の断崖の穴居(けっきょ、国栖の穴)と同じようなものというユーモラスな筆致で描かれたエッセイ。

エッセイより)村の名を、竹ノ内という。古代出雲の首長であった長髄彦の墳墓の地であり、長髄彦の妹婿(いもうとむこ)饒速日命(にぎはやひのみこと)の子孫である武内宿祢(たけのうちのすくね)の出身の村でもある。古代大和の出雲族の根拠地の一つなのである。この村はどういうわけかは知らないが、大和平野のむこうはしの吉野川流域の村々と嫁婿(よめ・むこ)をもらいあう例が多い

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国栖の里 吉野川流域

前回紹介したエッセイ「長髄彦」と同様、長髄彦の墳墓、武内宿祢の話、それに長髄彦出雲族の首長であるという話は、竹ノ内の村の人々の伝承(もちろん学会で認められた話ではないという前提)として紹介しておられますが、吉野と葛城の嫁婿のもらい合いの話は事実でしょうね。

葛城・土蜘蛛と、吉野・国栖の(クズ(葛)・縄文血族どうしの)強い結びつき。面白いですねぇ。また興味深いですねぇ。

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それにしても、ナガスネヒコ出雲族の首長であるという話がサクッと書かれているところが驚きですね(史料などで出てくる話ではありません)

私は ヒスイの古代史 の観点から、弥生時代の出雲と縄文の集合を想定していますが、「出雲族が首長の縄文血統の人々のクニ」という竹ノ内の伝承とは矛盾しません。

国譲りと出雲後物部(いずものちもののべ)

この伝でゆくと、出雲族が『まつろわぬ者』となります が、実は、これが私が当ブログやアラハバキ解で書いてきた『出雲後物部、いずものちもののべ』と符合する展開です。

簡単な話、『国譲り』は出雲だけで起きたことではない ということ。

まだまだ細かな部分で、またさらに、新しい点と線をつないでゆく必要がありますが、出雲の古代文化圏(都市国家)があった各地で起きたことと考えています。

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幻となった司馬さんの古代歴史小説

エッセイ『穴居人』は次の文章で締めくくられます。

エッセイより)天つ神と国つ神の、日本の神話時代の動乱が、そのときから始まるのだが・・・さて、こういう種族相克の話が、小説にならないものか。・・・ふと、そんなささやかな野望を感じたりする。おそらく、達せられることのない野望かもしれないが。

たしかにこの野望は達せられることはありませんでしたが、それは司馬さんが古文書読解の達人であり、文字が残された時代にその後の関心とテーマが集中したからです。

しかしあと十年ぐらい長生きしておられたら、司馬さんの竹ノ内伝承を下敷きにした古代歴史小説を読めたかも知れませんね。

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*1:司馬遼太郎が考えたこと(1)155ページ、新潮文庫