古代京都の山背(やましろ)。弥生時代は出雲の #賀茂族、後に渡来の #秦氏 が支配しました(秦氏と物部氏は同祖)。当ブログの #出雲後物部 は、そんな古代史を語るためのカテゴリー。山背時代からの古社に共通するのは御神紋 #双葉葵 #葵祭
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出雲と秦氏/出雲後物部
京都の最古社のひとつとされる松尾大社の創建当時の鎮座地は、後背の松尾分土山(わけつちやま)大杉谷にある巨大な磐座(いわくら)で、現在の境内から、その磐座はみえません。
ご存じのように、磐座(磐境「いわさか」とも)は弥生時代の出雲族の祭祀のこん跡 で、現在の社殿ができる以前、当地は出雲族が支配する地であったことを意味します。
文武天皇(第42代、藤原京・飛鳥時代)の大宝元年に、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が、現在地に社殿を構えて以降、山背(やましろ)を支配した 秦氏(はたうじ)の氏神 とされました。
当ブログの 出雲後物部 カテゴリーの典型的なシナリオが、松尾大社には見られます。
物部氏と秦氏は、大陸時代の同祖で、私が親しむ出雲伝承(背広姿の語り部、斎木雲州氏、出雲と大和のあけぼの)においては 秦氏は物部氏としてひとくくりで語れています。
双葉葵(ふたばあおい)が意味するところ
古代の京都山背における出雲族は 賀茂氏(鴨氏)であり、下鴨神社(賀茂御祖神社)、上賀茂神社(賀茂別雷神社、かもわけいかづちじんじゃ)に共通するのが双葉葵の御神紋。
また全国貴船神社の総本宮・貴船神社(京都市左京区鞍馬貴船町)、
三柱鳥居で知られる木島坐天照御魂神社(木島神社、蚕の社、京都市右京区太秦) など、
五月十五日は葵祭(あおいまつり)
明日、五月十五日は、京都三大祭の一、葵祭の行列が四年ぶりに開催されます(平日なので見学に行けません。)
行列の主役・斎王代(さいおうだい)は、頭に桂の葉、従者は葵桂(あおいかつら、きっけい)を身につけて行列します。
葵の葉に似た桂の木の葉は、双葉葵の古社では共通して重要な意味合いを持ちます。
日本の古代史の謎のひとつである古代京都山背の歴史を物語る葵と桂。
葵祭行列では、双葉葵の御神紋の意味を考えながら、見学するのも楽しいでしょうね。
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カツラ(桂)とは種類が違いますが、松尾大社の境内には、カギカズラ野生地の案内板がありました。