ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

日本最初の神社で祈った平和と豊穣、子孫繁栄 唐古・鍵遺跡★★

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(黄色い丸)宝石箱の出土地点

前回からの続き

古代の宝石箱は、唐古・鍵遺跡史跡公園内「大型建物跡」そばの水路の中から出土した。

この大型建物、跡には模型の柱が立てられている他、史跡公園・北西入口、資料館(遺構展示情報館)で発掘当時の姿が復元されている。

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唐古・鍵の大型建物は日本最初の「神社」跡

神社・祭祀の歴史から言うと、大型建物の「2200年前(紀元前200年)」というのは、出雲のイワクラ(自然)祭祀から、物部の神社(建物)祭祀への移行期、その始まりの時期と考えている。

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物部氏(本体)が北九州から西へ移動を始め(紀元前250年より後)、奈良盆地へ到達(同200年前後)。

それにともなう各地の最初の神社(開物の創建推定・イワクラ時代除く)

■奈良・大神神社(おおみわじんじゃ、桜井市、紀元前100年以降)

■大阪・生国魂神社(いくたまじんじや、大阪城、紀元前50~西暦0年)

■京都・下鴨神社(しもがもじんじゃ、西暦0~50年)

いずれも「開物・古代妄想年表における」だが、カッコイイ言い方をすれば、物部氏奈良盆地到達から大神神社創建までの「神社のミッシングリンク」を探していた。

「いた。」というのは「失われた環」を唐古・鍵で見つけたと考えているからだ。

今の私たちが当たり前に見ている、本殿建物のある神社の祭祀様式、その原初的な構造物が、唐古・鍵の大型建物跡だと考える。

その根拠は、

大型建物の柱跡と正面位置の関係から「平入(ひらいり)&妻入(つまいり ※1)、高床式、殻倉(こくそう)」の形式は間違いなく、これに切妻(きりつま)の屋根を載せると、伊勢神宮正殿の「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」になる。

もうひとつの大型建物(写真、黄囲み)とともに、唯一神明造の特徴、棟持柱(むなもちばしら ※2) まである。

※1、長方形の長辺中央に入口があるのは平入。短辺にあるのは妻入(つまいり)

※2、短辺・真ん中の太柱のこと

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大型建物・想像復元イメージ

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物部・出雲・縄文の習合と「子孫繁栄」の祈り

・・・そして「古代の宝石箱」

前回記事を整理すると、

● 褐鉄鉱の入れ物は土鈴(どれい)で物部氏のシンボル・鈴生り

● 宝石の勾玉は出雲と縄文に共通したシンボル・芽生(出づ芽、いずめ)

● それぞれに最高レベルで「神聖なモノ」がひとつになって神殿=神社のそばに埋納されていた意味

(このような埋納形式は、宗像大社沖ノ島沖津宮)などでも見られる)

唐古・鍵で最初に「八重垣のクニ造り」をした人々が何を祈っていたのか。

想像するために、あらためて、住吉大社・種貸社の御神鏡を、三枚、まとめて見ていただこう。

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住吉大社・種貸社 御神鏡

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

続く(次回、このシリーズ最後)

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