毎年5月15日、上賀茂神社とともに行われる葵祭(あおいまつり、賀茂祭とも、京都三大祭のひとつ)、斎王代(さいおうだい)で有名だ。
斎王は「いつきのひめみこ」ともいい、かつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王(皇族直系の姫)のこと。斎王代はその斎王の代理という意味で、戦後復活した葵祭の主役だ。斎院とは斎王が居た御所のこと。
賀茂川と高野川が合流する手前のV字帯、古京都の森林が残る「糺の森」(ただすのもり)の中、南北に長い御神域。
広大で南側の河合神社から奥の本殿まで、何回かにわけて紹介しようと考えていたが、
運よく、本殿西側の「大炊殿(おおいどの)」の公開日に出くわし、写真も撮ることができたので、今回は「奥」から始めることにする。(古代妄想なしバージョン)
大炊殿そばの葵の庭(カリンの庭とも言う)のご神紋のモデル・フタバアオイ。
境内地図の左上(この境内図は南北が圧縮されているので注意)、本殿域の西側、葵の庭(カリンの庭とも)一帯が公開。
重要文化財・大炊殿(看板文字起し)
新撰(お供え)の御料を煮炊きし、調理をする社殿で大炊所(おおいどころ)とも呼ばれている。入口の土間に竈(おくどさん)があり、中の間はお供えの材料や用具を洗ったり、調理する台所、奥の間は、盛り付けをし、神前へお供えする順に並べておく配膳棚が設けてある、古くはこの社殿ではご飯、餅、ぶと、まがり(お菓子)など穀物類が調理された。お酒は酒殿。魚貝鳥類は贄殿(にえどの)で料理されていたが、文明二年(1470年)六月十日、乱の兵火によって焼失した。その後、大炊殿は、現在の場所に再興された。酒殿は退転。贄殿は、供御所(くごしょ)の一間に充てられた。神社建築のなかでこの種の社殿が現存するのは非常に希で貴重である。(「ぶと」は菓子。餢飳と書く)
開物のポイント
● 竈(かまど)のことを「おくどさん」と読む。「奥」と関係? 竈は龍・亀に通じる
● お酒は酒殿。「酒蔵」は姫御子の神社から発展したと考えているがその手掛かりだ
● この種の社殿が現存するのは非常に希で貴重。その通りで伊勢にもあるが一般が見る機会はほとんどない
*****
大炊殿の内部
比良木大明神はすぐ近くの下鴨境内の通称・比良木社、出雲井於(いずもいのへの)神社のことだろう。
葵祭りの神饌(神様に捧げる料理)
葵祭の神饌。オードブル(初献、右)、メインディッシュ(本膳、中)、デザート(後献、右)。
本膳(メインディッシュ)海の幸・川の幸。刺身や干物の起源。
左:初献(オードブル、食前酒もある)、右:後献。
簡単に調べたことを書いておく。
● (本膳)御最花=おさば=サバの細かな切り身、塩引=鮭、打鮑=干あわびののしたもの、韶陽魚=ごまめ
● (後献)州浜=和菓子、吹上=和菓子、粔籹=おこし、搗栗=かちぐり、杵でついた栗
元旦~七日の七五三餅、御粥祭(1月15日)の神饌
七五三餅の三枚重ねの菱餅は、雛の節句と関係があるのだろうか。
左:七五三餅(元旦~七日、幣殿の唐戸の東西に奉られる神饌。丸型餅七枚、小判型の長良(牛の舌)五枚、菱形餅三枚、素焼土器)
右:御粥祭(1月15日)の神饌