大阪の御堂筋、ビジネス街・本町(ほんまち)のすぐそばに坐摩神社は鎮座しています。
「いかすりじんじゃ」、資料によっては「いがすりじんじゃ」、通称「ざまじんじゃ」といいます。
もともと、現在の鎮座地から北東約1キロの天満橋駅の近く(古代の渡辺津、窪津)に鎮座していましたが、豊臣秀吉公・大坂城築城に伴い、現在地に遷座しました。
元の鎮座地は、坐摩神社行宮(あんぐう)となっています。(御旅所。豊磐間戸神・奇磐間戸神神社とも云う。後半に紹介)
窪津(くぼつ)は、古代上町半島の熊野街道の第一王子でもありました。
坐摩神社(大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺)
御祭神:生井神(いくゐ(うぃ)のかみ)、福井神(ふくゐのかみ)、綱長井神(つながるのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)。五柱を総称して坐摩神
「流水、井泉の神であり、竈神としても篤く奉斎されています。」(由緒略記より)
御神徳:住居守護、旅行安全、安産守護
安産は、神巧皇后が応神天皇の安産を社に祈願した説話にもとづきます。
旅行安全は、防人(さきもり)が旅立ちに際して、坐摩神に航路の安全を祈願した歌が、万葉集に詠まれています。
『にはなかの阿須波のかみにこしばさしあれはいははむかえりくまでに(万葉集4350)』
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珍しい三鳥居(みつどりい)。
いただいた由緒略記には「坐摩の語源は諸説ありますが、土地または居住地を守る意味の居所知(いかしり)が転じた名称」と紹介されていました。
「神功皇后(じんぐうこうごう)が、坐摩神の教えにより、白鷺の多く集まる所に坐摩神を奉斎(奉り斎き祀る)されたという故事に由来しています」
お詣りした時、本殿横でちょうど、さぎ草が花弁をつけていました。
ほんとうに、白鷺が翼をひろげて、優雅に翔んでいるように見えますね。
神社では、御神花のさぎ草を、特製の焼き物ポットに入れて、お分けいただけるそうです(初穂料1鉢2,500円)
境内末社の(写真左から)大江神社、繊維神社、大国主神社、天満宮、相殿神社。
つい最近まで近くに住んでいて、氏子でもあった大江神社(大阪市天王寺区夕陽ケ丘町)とは関係がないとのこと。
こちらの大江神社の御祭神は、神功皇后、応神天皇、武内宿禰(たけのうちのすくね)と確認しました。
同じく境内末社の陶器神社(とうきじんじゃ)と稲荷神社。
毎年7月下旬の夏季大祭(夏祭り)にあわせて、陶器神社では「大阪せともの祭り・陶器市」で賑わうのですが、今年は残念ながら中止。
坐摩神社 行宮(大阪市中央区石町2-2-20)
御祭神:豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)、奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)
(境内説明板・文字起こし)この地は、坐摩神社の旧鎮座地であって、天将11年(1583年)豊臣秀吉大阪築城に際し城域に当るため、現在の大阪市中央区久太郎町四丁目に遷座されるまで当地に鎮座し給うた。社伝によると神功皇后が新羅よりご帰途の折、この地に坐摩神を始めて奉斎され、また石上に御休息されたと伝えられている、今も境内に鎮座石が残り、ゆえにこの地を石町と称すともいう。平安期、熊野詣が盛んとなり、京都から摂津、和泉をへて熊野本宮に至る熊野古道沿いに熊野王子社が数多く設けられたが、淀川を船で下り最初に参詣する第一王子とも呼ばれる渡辺王子(別名、窪津王子)社のもとの鎮座地と云う
渡辺( 窪津)王子は、四天王寺西門の石鳥居付近(熊野神社)の後、現在は、堀越神社(大阪市天王寺区茶臼山町)境内に遷座しています(熊野第一王子之宮))