ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【村屋坐弥冨都比売神社②】当社成立の難解な歴史を推察させる境内四社

はじめに

大和川畔の #村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)二回目。境内四社。それぞれに由緒が深く、当社成立の難解な歴史を推察させます。備忘録 #壬申の乱 #物部守屋 #阿刀 #服部

目次

本文

【村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)①】

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村屋神社(延喜式内社)おそらく元社

村屋神社

御祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、室屋大連神(むろやおおむらじのかみ)、大伴健持大連神(おおとものたけもちおおむらじのかみ)

(興味のある方は注釈Noをクリックしてご覧ください。開物見解も含めて紹介しています)

案内/一部文字起こし)経津主神武甕槌神は春日四神のうちの二神*1であることから春日神社とも言う。大連(おおむらじ)二神は壬申の乱(672)*2に、吉野軍の将として活躍し、功績が高かったため、天武五年に合祀される。この森屋郷は、古くは、室屋郷とも室原郷とも言い、室屋大連の神は、この地の出身ではないかと考えられる。この神社は、元は大宮から二百メートルほど東、初瀬川(大和川)の川べりに鎮座されていたが・・・(中略)・・・壬申の乱に功績のあった三神の日本書記の記述*3では、高市事代主神*4・身狭(むさ)の生霊神*5と二神は神名まで表記されているが、村屋神は地名だけで神名がない。(ゆえに)村屋神社の二神ではないかと思われる。村屋坐弥冨都比売神社は女神*6であり、戦にはしっくり来ない。経津主神武甕槌神の方がふさわしく思うが、決定する資料がない。(村屋坐弥冨都比売神宮司 守屋広尚

村屋神社 案内板(由緒)

物部神社市杵島姫神社)宮司家の祖神を祀る

境内の南東に沼があり、物部神社。鳥居の表札に市杵島姫神社の名。

物部神社(鳥居には市杵島姫神社の表札)

神様パネルには宮司家(守屋さん)の祖先、物部守屋など物部氏の祖神を祀る」と書いてあります。

物部神社と神様パネル

なんとも不思議な雰囲気の沼です。ちょっとコワい感じも(汗)。このお社については、特に説明もありませんでした。

物部神社市杵島姫神社)の沼

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当社と関係があるかどうかは未確認ですが、一応参考までに。

守屋(もりや)の名は、信州諏訪にいくつか残っており、例えば、中世の諏訪大社(上社)の神長官(じんちょうかん)が『守矢』姓で、現在でも神長官守矢史料館(長野県茅野市宮川389-1)があります。

諏訪大社上社二社は守屋山を遥拝します。

善光寺長野市)の胎内巡りは建物下に埋められた守屋の首級の周囲を回るという伝説があります。

いずれも丁未の乱(587年)で(聖徳)太子軍に滅ぼされた(宗主・守屋が討たれた)後、物部氏の子孫が信州信濃に逃れたという伝承に基づくものです。

諏訪大社上社 地元有志(歴史研究グループ)によるマップ(一番上に守屋山)

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服部神社(延喜式内社)合祀社

御本殿の西隣。御祭神(天之御中主神*7)を祀る社らしく祠は南向き。参拝者は北を拝みます。

服部神社

天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)、天之御鉾神(あめのみほこのかみ)*8

服部神社 天之御中主神 神様パネル

案内/一部文字起こし)服飾関係を司る神 である。これより西二キロばかりの所に、大安寺字神来森(かみきのもり)という土地がある。そこに鎮座して、波登里村(はとりむら)、阿刀村(あとむら)の氏神 であった・・・(中略)・・・祭禮には氏子が盆に綿を盛り、その上に十二祷を載せてお参りした風習があったが、今は綿の栽培がなくなったのでこの風習はなくなった・・・(中略)・・・波登里村、阿刀村も消滅して、神社の経営成り立たず、そのまま本社境内末社となる、と同時に壬申の乱の神功を称えるお渡りも中断するに至り、いまだ復興することができない(村屋坐弥冨都比売神宮司 守屋広尚)

服部神社 案内板(由緒)

案内の中で個人的に興味を持ったのが阿刀村(あとむら)の名。

現時点での仮説にすぎませんが、阿刀氏から空海さんに繋がる『点』かも知れませんので、書いておきます。

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久須々美神社(延喜式内社)合祀社

天之久之比神(あまのくしひのみこと)*9事代主神(ことしのぬしのかみ)*10

久須々美神社 神様パネル

久須々美神社 案内板(由緒)

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*1:経津主神は物部の剣「フツ」の言霊を持つ香取神宮の御祭神。武甕槌神は出雲の国譲りの力比べでタケミナカタに勝利した武神で鹿島神宮の御祭神。タケミナカタは戦いに敗れたのち諏訪に逃げ諏訪大社の御祭神に

*2:天智天皇の弟とされる大海人皇子(おおあまのおうじ)と、同天皇の長子・大友皇子(おおとものおうじ)が皇位継承をめぐって起こした一か月に及ぶ内乱。大友皇子は敗北して自殺し、大海人皇子は即位して天武天皇となった(コトバンク

*3:吾者高市社所居、名事代主神。又身狹社所居、名生靈神者也(吾は高市社に居る事代主神だ。また身狭社に居る生霊神だ)・・・又村屋神着祝曰(また村屋の神は祝(ほふり)に憑きて曰く)

*4:一般的に高市御縣坐鴨事代主神社に比定される。通称:河俣神社 。個人的には鴨都波神社(御所市)の可能性の方が高いと考えている

*5:いくたまのかみ。身狭は畝傍山の南および南東一帯をさす古代地名。鎮座地は詳細不明。橿原神宮畝傍山中に同名の神社名(祠)が見える(グーグルマップ等には記載がない)。あるいは畝傍山東の市街に生國魂神社(34.498197762894776, 135.79309366358615)が鎮座(開物調べ)

*6:村屋坐弥冨都比売神社①で紹介した通り、三本の剣(ふつ)を持つ『みふつひめ』と解釈することも可能(開物)

*7:北極星または北極点。開物解釈

*8:服部氏は諸国の織部、機織りを管掌する古代氏族。始祖は天御桙命

*9:別名:天目一筒命(鍛冶製鉄の神)

*10:別名:恵比須神