ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

司馬遼太郎

【東寺(教王護国寺)】お大師さんと不動明王の別れの話

はじめに 京都の #東寺。弘法大師・空海さんが高野山に参篭するまでの約10年間、平安京で過ごした #大師堂(西院御影堂)#毘沙門堂 #小子坊 #蓮花門 目次 東寺 大師堂(西院御影堂)室町時代再建 東寺 毘沙門堂 東寺 大師堂(西院御影堂)の様子 東寺 蓮花…

【私の古代妄想史②】背広姿のカタリベ【司馬遼太郎エッセイより】

はじめに 私の古代妄想史・2回目。初期の #司馬遼太郎 さんのエッセイに出雲の不思議な話が2つ。司馬さんの先輩T氏は島根(出雲)の名族出身。自分の代で出雲の社家をやめ大阪に出て新聞記者に。#語部 #斎木雲州 目次 司馬遼太郎が考えたこと(1)新潮文…

【私の古代妄想史①】ネットサーフィンから謎たくさんのダンジョンへ【当ブログ誕生秘話( ´艸`)】

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 はじめに 特に何かの記念日でもないのですが、当ブログ(ものづくりとことだまの国)を書き始めた経緯を。オリンピックにあやかって漫画の吹き出しプラカードを使いたかっただけかも( ´艸`) #出雲伝…

【ナガスネヒコは出雲の首長】司馬遼太郎さんが書いた竹ノ内伝承【葛城と国栖の強い結びつき】

はじめに 司馬遼太郎さんが子ども時代を過ごした竹ノ内(奈良県葛城市竹内)伝承の続き。昭和35年のショートエッセイより。長髄彦は出雲族の首長。葛城と国栖の血縁関係。驚きの内容 #国譲り #出雲後物部 目次 長髄彦(ナガスネヒコ)は出雲族の首長? 国譲…

司馬遼太郎さんはナガスネヒコとニギハヤヒの子孫!?【竹内街道】

はじめに 作家として初期の #司馬遼太郎 さんに #長髄彦 という短文のエッセイがあります。故郷の竹ノ内へのにじみ出る愛と #消された河内の古代史 のヒミツ。#ナガスネヒコ #ニギハヤヒ #竹内街道 目次 竹ノ内 司馬遼太郎さんの故郷 ナガスネヒコの古墳? …

蝦夷の人々が継承する縄文と空海さんの濃厚な接点【エミシとヤマト】

はじめに 空海さん(#弘法大師)の俗名は#佐伯真魚。父方が讃岐の #佐伯部。ヤマト王権が東日本を平定する過程で捕虜となった蝦夷を畿内から遠い地域に居住させた時の監督者あるいは一族の家系。幼いころから縄文を継承する蝦夷の言葉、思想、信仰に通じてい…

【哀悼 李登輝さん】二十二歳の岐路と変わらぬ友情【司馬遼太郎さんエッセイ】

目次 李登輝元総統のご逝去に哀悼の意を表します 三度目の台湾(抜粋)(平成六年三月)*1 ふるさとへまわる六部の気の弱り 本文 李登輝元総統のご逝去に哀悼の意を表します 台湾、民主主義の父、李登輝元総統が2020年7月30日、お亡くなりになられま…

【葛城山麓の古代史(3)】笛吹連 火のプロフェッショナル 金属精錬加工集団【葛木坐火雷神社 笛吹神社(3)】★★

このシリーズ1回目で、葛木坐火雷神社(かつらぎいますほのいかずちじんじゃ、通称は笛吹神社)のご由緒を紹介しました。 www.zero-position.com 葛木坐火雷神社 笛吹神社 本殿への石段 気になっているのが、次のあたり(ご由緒の開物の現代訳より一部抜粋)…

【司馬遷 史記より】秦 始皇帝 徐福 不老不死 神薬探しの伝承【原文とあらすじ】

コロナ騒動で週末は出控え、ブログネタにやや困りつつダイエットは難しい(笑)ので、断捨離を始めた。 私は押入れ当番で、奥の段ボール箱から、亡くなった父親の遺品の古書がでてきた。 約三十年前に残された大量の本はほとんど古本屋さんでサバいたが、ほ…

洪庵先生(1)自分の火を弟子たちの一人一人に遷し、輝いたたいまつ【大坂、北船場・適塾】

世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない。ここでは、特に美しい生がいを送った人について語りたい。緒方洪庵のことである。 で、始まる司馬遼太郎さんの『洪庵のたいまつ』。小学5年生の国語教科書(1995年)向けに書かれたものを、一部交え…

司馬遼太郎さんと大阪夕陽丘【菜の花の季節に】

興徳寺(大阪市中央区)満開の菜の花 2020年2月11日 真田丸顕彰碑前 司馬遼太郎さん(福田定一、1923年8月7日 - 1996年2月12日、享年72才)は大阪市浪速区塩草(現住所表示)で生まれた。 脚気(かっけ)の療養のため、竹内街道そばのお母様の実家に疎開し、…

【菜の花忌】2月12日は司馬遼太郎さんの命日【二十一世紀に生きる君たちへ】

1996年(平成8年)2月12日、大阪・難波宮(法円坂)に隣接する国立大阪病院(当時)で永眠。 10日深夜、自宅で容態が悪くなり緊急入院、翌々日の8時50分。 72年の生涯を閉じたその日は、司馬さんが愛した花と季節にちなんで「菜の花忌」と呼…

日本の謎の古代史 考える時のポイント(1)日本海側から発展、海退と沖積

日本の古代は謎が多い。 特に縄文から弥生へかわる紀元前1000年ごろから、古墳時代が終わり、飛鳥時代を含む紀元後600年ぐらいまでは謎だらけ。 そんな謎の古代史を考える時の私なりのポイントを紹介。 日本海側から発展 司馬遼太郎さんの「菜の花の…

物部さん考(1)元祖・大阪のモノづくり 古代のウォーターフロント

四天王寺が創建されたころの大阪の地形図。 現在とずいぶん違う。内陸型と違い、沿岸型で文明が発展した日本の古代を考えるときの基礎だ。 古大阪湾(難波江、なにわのえ)に対して、上町半島が先端に砂州をつくりながら北に伸びてゆき、それに伴って、東側…