1996年(平成8年)2月12日、大阪・難波宮(法円坂)に隣接する国立大阪病院(当時)で永眠。
10日深夜、自宅で容態が悪くなり緊急入院、翌々日の8時50分。
72年の生涯を閉じたその日は、司馬さんが愛した花と季節にちなんで「菜の花忌」と呼ばれている。
ご自宅は今、司馬遼太郎記念館として、書斎のある家屋が保存され、隣接地に一般見学できる施設が建てられている。
記念館入口のスズカケの木。司馬さんは、栃木県佐野市の戦車駐屯地(当時、国民学校)で敗戦を迎えた。
一度は、そのために死を覚悟した「国」というものへの深い思考が後年、司馬さんを歴史小説家へと駆り立てた。
二十一世紀に生きている私たちへ。司馬さんからの伝言
司馬さんが65才の1989年、小学校6年生の国語教科書のために書かれたのが『二十一世紀に生きる君たちへ』
冒頭だけ紹介(本文は「二十一世紀に生きる君たちへ」で検索すれば読むことができます)
私は歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」と答えることにしている。・・・だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは ー もし君たちさえそう望むなら ー おすそ分けしてあげたいほどである。
この後『自分は二十一世紀には(どうやら)生きていないよ』という前提で、子どもたち(二十一世紀に生きている私たち)へのメッセージとして書かれている。
ひたすら味わい深く、心打たれる文だった。
展示パネルを読んでいる間でも、他に6-7人の方が同じく熱心に読まれていた。
同名の記念館発行本(2003年初版、第29刷)がショップにあり購入した。
人間の荘厳さ(二十一世紀に生きる君たちへ、司馬遼太郎さんあとがき、エッセイ)
人間は、鎖の一環ですね。はるかな過去から未来にのびてゆく鎖の。・・・人間のすばらしさは、自分のことを、たかが一環かとは悲観的におもわないことです。ふしぎなものですね。たとえば、小さい人たちは、いきいきと伸びてゆこうとしています。少年少女が、いまの一瞬を経験するとき、過去や現在のたれとも無関係な、まっさらの、自分だけの心の充実だとおもっているのです。荘厳なものですね。
「二十一世紀に生きる君たちへ」は、そういう荘厳さを感じつつ、書いたのです。つぎの鎖へ、ひとりずつへの手紙として。こればかりは時世時節を超越して不変のものだということを書きました。日本だけでなく、アフリカのムラや、ニューヨークの街にいるこどもに通じるか、おそらく通じる、と何度も自分に念を押しつつ書きました。
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記念館の帰り道、スーパーで買った旬の菜の花。念のための説明(´▽`)
春野菜らしいほんのり苦味が、寒さで鈍った身体にカツを入れてくれます。
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