ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください


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【幻の元四天王寺】古代の海と河が接する所 信仰の中心地 森の宮あたり【鵲森宮 古地図 】

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鵲森宮(かささぎもりのみや、森の宮神社)の社務所で、宮司さんに話をお聞きしている時、平安後期、鵲森宮が描かれたという古地図を見せていただき、了解の上、撮影させていただいた(上が東、左が北、右が南の地図)

参詣者からよく話を聞かれるので、説明のために用意しておられる地図とのこと。

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鵲森宮 社務所で撮影『承徳九年(1098年)平安後期 堀河天皇』とされる地図

古地図の鵲森宮あたりを拡大した。

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鵲森宮あたりを拡大した古地図

要点(核心)をまとめると

● 鵲森宮は「玉造」の北側に描かれており、ほぼ現在地にあたり、

● 北側に「用明天王」聖徳太子のお父上の名が書かれた建物。千木があるので神社の社殿(現存しない)

● さらに北側に「天王寺跡」

天王寺跡は「元四天王寺」のことと鵲森宮では伝えている。おそらくその根拠(のひとつ)がこの地図なのだろう。

四天王寺は古くは荒陵(あらはか)と呼ばれた現在地(大阪市天王寺区四天王寺)に建てられる前(丁未の乱の直後)、上町台地北部(大阪市中央区森の宮)に創建された説があり、この古地図はその場所を示している。(Wiki四天王寺では『創建に関わる異説』として記述されている)

ja.wikipedia.org

他に古地図(鵲森宮周辺)に描かれているもの。

● 豊臣秀吉の時代に現在地に移設された「生玉社」(現在、大阪市天王寺区生玉町)、「高津社」(高津宮、現在、大阪市中央区高津)

● 熊野街道のスタート地点とされる熊野一之王子社(現存しない)

● 後世の石山合戦図に描かれている「亀之池」「白龍池」(どちらも現存しない。ただし亀之池は大阪城外堀に含まれる可能性が大)

● 古地図に見える石山には、後(1533年)に「石山本願寺」、さらに後「大坂城」が建てられた

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石山(大坂)本願寺 御影堂(みえいどう)模型 大阪歴史博物館

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鵲森宮古地図(1100年ごろ)と石山合戦図(1570年代) 北が上

石山合戦図を元に書いた記事

www.zero-position.com

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現在、上町台地とその周辺低地における地形と古地理変遷の概要より

生国魂神社(記事一覧)

www.zero-position.com

高津宮(高津神社)(記事一覧)

www.zero-position.com

お知らせ(はてなブログオーナーの方。2020年2月10日)

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