鵲森宮(かささぎもりのみや、森の宮神社)の社務所で、宮司さんに話をお聞きしている時、平安後期、鵲森宮が描かれたという古地図を見せていただき、了解の上、撮影させていただいた(上が東、左が北、右が南の地図)
参詣者からよく話を聞かれるので、説明のために用意しておられる地図とのこと。
古地図の鵲森宮あたりを拡大した。
要点(核心)をまとめると
● 鵲森宮は「玉造」の北側に描かれており、ほぼ現在地にあたり、
● 北側に「用明天王」聖徳太子のお父上の名が書かれた建物。千木があるので神社の社殿(現存しない)
● さらに北側に「天王寺跡」
天王寺跡は「元四天王寺」のことと鵲森宮では伝えている。おそらくその根拠(のひとつ)がこの地図なのだろう。
四天王寺は古くは荒陵(あらはか)と呼ばれた現在地(大阪市天王寺区四天王寺)に建てられる前(丁未の乱の直後)、上町台地北部(大阪市中央区森の宮)に創建された説があり、この古地図はその場所を示している。(Wikiの四天王寺では『創建に関わる異説』として記述されている)
他に古地図(鵲森宮周辺)に描かれているもの。
● 豊臣秀吉の時代に現在地に移設された「生玉社」(現在、大阪市天王寺区生玉町)、「高津社」(高津宮、現在、大阪市中央区高津)
● 熊野街道のスタート地点とされる熊野一之王子社(現存しない)
● 後世の石山合戦図に描かれている「亀之池」「白龍池」(どちらも現存しない。ただし亀之池は大阪城外堀に含まれる可能性が大)
● 古地図に見える石山には、後(1533年)に「石山本願寺」、さらに後「大坂城」が建てられた
石山合戦図を元に書いた記事
生国魂神社(記事一覧)
高津宮(高津神社)(記事一覧)
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