ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【司馬遷 史記より】秦 始皇帝 徐福 不老不死 神薬探しの伝承【原文とあらすじ】

コロナ騒動で週末は出控え、ブログネタにやや困りつつダイエットは難しい(笑)ので、断捨離を始めた。

私は押入れ当番で、奥の段ボール箱から、亡くなった父親の遺品の古書がでてきた。

約三十年前に残された大量の本はほとんど古本屋さんでサバいたが、ほんの少しだけ残していた。

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百五十家 評註史記 二巻十冊 上海文瑞樓印行

今どきは便利で、スマホで早速調べると、完本セットで3万円ほどの値が付いていた(ラッキー!)

史記

(古代中国)前漢武帝の時代に司馬遷(しばせん)が編纂した中国の歴史書、第一の正史で、日本だと古事記か日本書記に相当する。

司馬遷の、偏りのない客観的な視点をリスペクトし、ペンネームとしたのが司馬遼太郎さん(本名・福田定一)。

司馬遷は紀元前100年前後に生きた人で、あまりに古い時代の人で、約50年の人生の中で、いつ史記を書き始めて、書き終えたのか、わからない点も多いが、

中国の神代・三皇五帝時代から自分が生きた前漢武帝の時代までの歴史を、130巻、約52万字にまとめた。

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系譜図 三皇五帝

例えば、三皇五帝時代の系譜の「神農」は、先日紹介した少彦名神社の御祭神・神農炎帝(しんのうえんてい)で、中国医薬の祖神とされている人だ。

神社では、日本医薬の祖神・少彦名命(すくなひこなのみこと)と並び称せられているが、

少彦名命の属する出雲は、日本古代史でも『神代』とされており、古代中国・神代の神様?(実在の王?)と共通している点が興味深い。(少彦名が中国に渡り・・・云々という伝説もある。)

www.zero-position.com

三皇五帝から夏(か)、商(殷)、周の各王朝の後、中国を統一した秦(しん)の始皇帝(しこうてい)が有名だが、系譜図を見ると、秦族の第二十六代目で中国統一を成し遂げたが、その二代後にあっけなく滅亡しているのを見ることができる。

秦・始皇帝の時代 徐福伝説

目下のところ、私が興味を持つ『徐福伝説』にかかわる部分を紹介する。

※古書『百五十家 評註史記』は、大きな字が史記本文、小さな字が百五十家=(担当する)歴史家の解説文という風に読む

始皇帝本記・二十八年(紀元前210年)

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史記 第六巻 秦始皇本記 二十八年(紀元前二百十年)

・・・斉人徐市等上書言『海中有三神山名 曰 蓬莱方丈瀛洲 僊人居之 請得斎戒與童男女求之』於是遣徐市発童男女数千人 入海求僊人

・・・斉の人、徐市(じょふつ)等は『(東の)海中に蓬莱・方丈・瀛洲という名の三神山があり、仙人がここに居ます。(始皇帝の)斎戒と若い男女を集めていただきたい』と上書(お願い)した。ここにおいて徐市を若い男女数千人とともに出発させ、海の向こうの仙人を探させた

『除市』が『徐福』のこと。『じょふつ』『じょふく』。一説には『じょせふ』とも。このあたりがユダヤ論の起源になる。

徐市は、あとの文で「方士」つまり道教の師と認識されている。道教(天台)は不老不死の神仙思想と繋がっていて、上のくだりは『仙人を探し出して不老不死の神薬の製作方法を教えてもらう』という意味合いの上書。

始皇帝本記・三十五年(紀元前203年)

・・・徐市等費 以巨万計 終不得薬 徒姦利相告日聞

・・・徐市等の費用は巨万を数える。しかしついに薬を得ることができず、不当な利益を得ているだけではないかという告発が聞こえる

始皇帝は、徐福らの他に不老不死の神薬探しのスポンサーとして巨費を投入したが、ぜんぶ逃げてしまって『徐福らも同じではないか』とボヤいているくだり。

始皇帝本記・三十七年(紀元前201年)始皇帝の没年

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史記 第六巻 秦始皇本記 三十七年(紀元前二百一年)

・・・方士徐市等 入海求神薬 數歳不得 費多 恐譴 乃詐曰『蓬莱薬可得 然常為大鮫魚所苦 故不得至 願請善射與倶 見則以連弩射之』始皇夢與海神戦如人状 問占夢博士 曰「水神不可見 以大魚蛟龍為候 今上祷祠備謹 而有此悪神 當除去 而善神可致」乃令入海者 齎捕巨魚具 而自以連弩候大魚出射之 自琅邪北至栄成山 弗見 至之罘 見巨魚 射殺一魚』遂並海西至平原津而病

・・・方士(道師)、徐市らは神薬を求めたが、数年たっても得ることができなかった。費用は多額だった。(徐市は)咎めを恐れウソを言った。『蓬莱の薬は得ることができますが、大鮫魚が苦しめるため(仙人のいる所に)着くことができません。射撃の名手を伴わせていただきたく願います。見つけて連弩(大弓矢)でこれを射ます。』始皇帝は人の形をした海神と戦う夢をみた。夢占いの博士に尋ねると「水神を見ることができません。大魚、蛟龍がそのきざしです。王様は神々に祈って祭り、慎まれているので悪神を除去すべきです。そうすることで善神を招くことができます。」と答えた。そこで(徐市らに)巨魚を捕らえる道具を持ってゆき、連弩で大魚が出れば射るように命令した。

一言でいえば、始皇帝は騙されたまま、この年の七月に没することになる。

史記の話の流れを見る限り、徐市(徐福)は紀元前210年に、蓬莱(日本)に向けて出発し、9年後に国に戻り、自ら、始皇帝に釈明していると読み取ることができる。

そして最新武器の連弩を装備して、また出国する。

9年の間、どこで、何をしていたのか?ということが徐福伝説のナゾ解明のポイントになる。

そして、始皇帝の没後、再出国した徐市は二度と国に戻ることはなかった。

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