はじめに
山頂に巨岩(観音岩)の #交野山 を遥拝する #機物神社。#交野ケ原 #天の川 伝承の #織姫 が御祭神。モデルは機織りの女神二柱。複雑な歴史を経て #七夕 のお祭りになったよう。今夏初めて #茅の輪 をくぐりました #おりひめちゃん
目次
本文
七夕(おり姫)伝説の機物神社(はたものじんじゃ、交野市倉治1-1-7)
大阪・JR京橋駅から学研都市線(片町線)で津田駅下車。南(交野久御山線沿い)に徒歩10分ほど。
神社に向かう左(東)に形の良い交野山(かたのやま)。山頂に観音岩があり、天気の良い日なら、ここからでも巨岩の岩肌を見ることができます。
機物神社の参道に着きました。おり姫が描かれた看板には『天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)、栲機千々比売命大神(たくはたちちひめおおかみ)』と書かれています。
七夕のおり姫のモデルは二柱の女神様ということでしょうね。
天棚機比売大神は機織(はたおり)の女神ですが、正体はよくわかりません。
栲機千々比売命大神は最近当ブログで頻繁に登場する天孫降臨神話のニギハヤヒとニニギノミコトのお母さん神(お父さん神はアメノオシホミミ。神名:正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊)
御祭神:天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ) 栲機千々比売命大神(たくはたちちひめおおかみ)、地代主大神(とこしろぬしおおかみ) 八重事代主大神(やえことしろぬしおおかみ)
機物神社の宮司さんが書いたHPより抜粋)機物神社の呼称及び七夕伝説との結び付きについては諸説ありますが、一説によると、古代、枚方市「津田」を「秦田(はただ)」、交野市の「寺」を「秦山(はたやま)」、「倉治(くらじ)」を「秦者(はたもの)」といっていた時代がありました。神社の名称はこの「秦者」の人たちが祀る社ということで、「ハタモノの社」が本来の呼び名であったと思われますが、後に七夕伝説と結び付けられて、「秦」の機織りの「機」に換えて現在の機物神社のイメージ作りが行われたといわれています・・・祭神に出雲系氏族の神の 地代主命(とこしろぬしのみこと)や事代主命(ことしろぬしのみこと)が弊社に含まれている・・・
詳しくは別に紹介したいと思いますが、物部氏と同祖の秦氏 は、応神天皇期(河内物部氏の最盛期の古墳時代)に渡来、北九州から瀬戸内・四国を通って摂津・河内に入りクニづくりに尽力したと考えられますが、その過程で、先住の出雲の信仰と習合した こん跡が複数みられ、ここもそのひとつと考えます。
機物神社 境内
機物神社の鳥居から交野山の山頂は真正面。交野山を御神体とした社であることがわかります。
(山体および巨岩イワクラを遥拝するのは出雲文化。後に秦氏の社になったと推理。これも 出雲後物部 のひとつのカタチ)
歌碑・左)棚機(たなばた)の 五百機(いおはた)立てて織る布の 秋さり衣 誰か取り見む(万葉集巻十 二〇三四、作者未詳)
歌碑・右)一年に 一夜と思えど たなばたの 逢ひ見む秋の 限りなき哉(拾遺和歌集、紀貫之)
明日に続きます。
交野ケ原の天野川・七夕
■織女の星田妙見宮・織女石(たなばたいし)(交野市星田9-60-1)
■牽牛の天田神社(交野市私市1丁目)
アラハバキ解(第48章)出雲後物部(いずものちもののべ)出雲の姫と赤い矢の交わり
【第48章:赤い矢と出雲後物部(いずものちもののべ)】