ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【幸神社(上賀茂岡本町)】子孫繁栄・サイノカミ信仰のこん跡【鴨岡本神社跡】

はじめに

上賀茂エリア。#大田神社 から #深泥池 までを散策。途中、#幸神社(上賀茂岡本町)の小祠を発見。調べてみると、かつて上賀茂神社の摂社で早くに廃絶したと昭和の古い資料に書かれている #鴨岡本神社 跡のようです。

目次

本文

上賀茂ウォーキング(大田神社~深泥池)

今回の上賀茂ウォーキングでは、大田神社から深泥池(みどろがいけ)のコース(黄線)を往復しました。

ここから、南の下鴨デルタ(賀茂川と高野川の合流点)に向かって緩やかに下ってゆく地勢は、自然の傾斜を利用した灌漑稲作に適しており、出雲(鴨・賀茂)族(日本書紀神武二年:葛野主殿縣主部、かどのもりあがたぬしべ)は、弥生期に、このあたりを含む京都北部から、山背(やましろ)のクニづくりを始めたと妄想しています。

上賀茂神社はご覧の通り、広大な境内地で、中に渉渓園(庭園)がありますが、近世までそこには神宮寺(神社を管轄する官製の寺院)があったことから、後背の山を神宮寺山と云うようです。

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上賀茂神社-太田神社-深泥池

7月3日の記事で『太田神社のカキツバタ群落は地勢的に深泥池と関係している』と書きましたが、はるか昔、一帯は東西に、現在の深泥池の湿地環境で繋がっていたことを示唆しています。(大田の澤カキツバタ群落も深泥池も天然記念物)

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上賀茂の景色(鴨岡本神社跡=幸神社)

大田神社から東に1~2分、道沿いの石垣に男女一対の道祖神のようなもの。調べてみると、ここは結婚式場(ウェディング&レストラン)の敷地で、宣伝で置いているようです。

大田神社(サルタヒコとアメノウズメ、男女和合&子孫繁栄)の至近という場所がら、京都らしいセンスと、奥深~い意味を感じますね。笑

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愛染倉の道祖神

さらにもう少し東に歩くと、石垣の奥にお社のようなものが。グーグルマップで調べると「幸神社(上賀茂岡本町)」の表示。

【(上賀茂岡本町)の追加表記は、下鴨(上京区神町)の幸神社(さいのかみやしろ)と区別するために表記されているのでしょう】

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大田神社の男女一対の御祭神と御神徳、先ほどの道祖神像、そして幸神社。。。すべて サイノカミ で繋がりますね。

それに、後背の神宮寺山の一番高いところを遥拝する位置に鎮座しているようです。

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幸神社(上賀茂岡本町)(グーグルマップ表記どおり)

後日自宅で、一帯のことを書いた資料(昭和三十年代)に目を通していて、鴨岡本神社跡(かもおかもとじんじゃあと) のことが書かれているのに気がつきました。

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幸神社(上賀茂岡本町)(鴨岡本神社跡)

大田神社の東、山麓と伝えられる。(大田神社と同じく)上賀茂神社の摂社で式内社でもあったのが、中古早くに廃絶して御祭神も由緒沿革も明らかにしない。現在深泥池に至る道路の北側に小祠をもってそのしるしとしている』という記述は、この賀茂岡本町の幸神社に符合します。

一帯の古くからの地勢(山を遥拝するクニづくりの始まりの台地)および幸神社の名から、古い出雲のサイノカミ信仰(子孫繁栄、五穀豊穣)であったことは間違いないと考えています(おそらく大田神社に合祀統合された)

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幸神社(上賀茂岡本町)(鴨岡本神社跡)

次回の上賀茂ウォーキングは、今回コースの南、明神川(楢(奈良)の小川)沿いを歩きたいと考えています(次回未定)

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道沿いのお地蔵さま、キレイにお化粧

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深泥池近くの公園にて

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アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(全54話完結)

【2020年12月~2021年5月、連載】

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